絆への言祝ぎ-前編-
2009.11.09
九郎生誕記念SSその1。秋の京。一応、九郎×望美がベースですが、糖度は無し。
- 九郎×望美
ばたばたと近づいてくる足音に、六条堀川の邸で書簡整理をしていた九郎は溜息をついた。
この邸で、このように無遠慮な足音を立てる人物などそうそういない。むしろ思い浮かぶのはただ一人。無論、その人物に会うのが嫌で漏れた溜息ではない。単純に、年頃の少女があのような慌ただしい音を立てて走り回るとは何たることだ! という九郎なりの躾精神(もしくは石頭的なナニカ)の発露なのである。
やがて、然程待つまでもなく、華やかな少女の声が御簾の向こう側から響く。
「九郎さん、九郎さん! いますよね!?」
在室を問う声が投げかけられるが、彼女は御簾の中までは入ってこない。
「ああ。少し待て」
大事な書簡をなくしてしまわないように文箱へ戻してから、九郎は立ち上がる。
以前、声をかけると同時に部屋へ飛び込み、着替え中の九郎とうっかり『ご対面』してしまって以来、やっと入室許可が出るまで待つということを覚えた望美である。おそらく正座させて一刻ほど説教したのが効いているのだろうと九郎は思うのだが、弁慶は『望美さんは、別に九郎以外にはそんな無遠慮なことはしていませんよ』と言っていたので、もしや自分には兄弟子の威厳がないのだろうか――と、後からこっそり凹んだことは彼だけの秘密である。
そして望美だ。
御簾の向こう側から届く声は、わくわくとした何かに満ち溢れていて、一瞬九郎に奥州へ残してきた愛犬のことを思い起こさせる。
(尻尾があれば思いきり振っていそうな勢いだな)
思わず笑みを浮かべながら、九郎は立ちあがって御簾を巻き上げる。
「どうした、望美。わざわざ六条堀川まで来るとは、急ぎの用事か?」
「こんにちは、九郎さん。ううん、そんなに急いではいないけど、でも今日じゃないとダメな、すっごく大事な用件です」
きりりと表情を引き締め、望美は九郎を見上げる。
「どうしても、九郎さんじゃないとダメなんです。お仕事が忙しいなら待ちますし、ここで待ってるのが邪魔なら出直して来ます。だから、お願いだから一緒に来てもらえませんか?」
ぎゅっと拳を握って言い募る姿に、九郎は不思議そうに首を傾げながらも、彼女へ諾意を伝える。
「今日は急ぎの用件もないから、今からで構わないぞ。どこへ行けばいいんだ?」
「本当!?」
ぱあっと笑みを浮かべ、景時さんの家に来て欲しいんです、と望美は告げる。
「ふむ。分かった。では支度をするから外で待っていろ」
「はーい」
元気よく答えた望美は、踊るような足取りで室の外へと向かう。御簾をくぐりかけた所で、はたと思いだしたように振り返る。
「あっ、そうだ。九郎さん」
「なんだ」
着替えを出そうと唐櫃へ手を伸ばしかけていた九郎は、訝しげに応じる。
「すみません。言うの遅くなりましたが、勝手にお邪魔してました」
へらっと笑う神子の姿に、九郎は苦笑を噛み殺した。
「それこそ今更だ。元々『好きな時に来ていい』と言ったのは俺だし、邸の者たちもお前の訪いを楽しみにしているようだからな。気にする事はないぞ」
「ありがとうございます。じゃあ、私、門のところで待っています! 今、すっごくかわいい馬がいるんですよ」
どうやら、九郎の室へ着く前に寄り道してきたらしい。
「皆に迷惑をかけるなよ」
「そんなことしませんよ~。見るなら後でゆっくりどうぞって言ってくれたのは門番さんの方だもん。心配なら早く用意して来て下さいねっ」
売り言葉に買い言葉ではないが、気安い言葉の押収をした後、ひらりと手を振って、望美は小走りに外へと向かっていく。
「全く、あいつは本当に皆に好かれているのだな」
六条堀川の邸は九郎個人の邸ではなく、源氏の京における本拠地――軍事と政務の中心である。
景時の邸とは異なり「公館」の色合いの強い場所である為、数多くの人が出入りしたり慌しい場所である。そんな中に女人が混ざれば目立つどころの騒ぎではないが、望美は『怨霊を封じる龍神の神子』として名も顔も知られている。武士たちからは源氏に勝利をもたらす神乙女として大歓迎を受けるし、気さくで分け隔ての無い性質は、邸で働くものたちからも評判がいい。
手早く着替えと、あとは夜遅くまで戻れない事を想定して執務の手配を済ませた九郎は、そういえば――と首をひねる。
「今朝から弁慶を見ていないな」
八葉の大半は景時の邸に居住しているが、九郎と弁慶の二人は、執務の都合もあって六条堀川の邸で起居している。別に急ぎの用はないのだが、なんとなく気になって、履物を用意してくれた下働きの者に問いかける。
「弁慶がどうしているか知らないか?」
「朝早くに、軍奉行様のお邸へと向かわれたはずでございますが」
「ふむ、景時の所か」
礼を言って立ち上がり、足早に望美の待つ場所へと向かう。
邸を出て真っ直ぐに門の方へ進む。探すまでもなく、華やかな笑い声が九郎の耳へと届いてきた。門の手前には、客人の乗ってきた馬や、早馬として出すための馬を繋いでいる小さな厩が設えてある。どうやら宣言通り、そこで馬を見せて貰っているようだ。
砂利を踏み鳴らす足音に気付いたのか、望美がこちらを振り返る。
「あ、九郎さん!」
こっちですよーと笑顔で手を振る姿に、自然と笑い返す。
「待たせたな、望美」
「ううん。馬を見せてもらっていたから退屈しませんでしたよ」
ね、と馬番の男を振り返れば、若者と老人の二人組が、慌てて九郎へ頭を下げる。それを片手をあげて制しておいて、九郎も望美が鼻面を撫でている馬を見遣った。
「いい馬だな」
「早馬として使っていた馬が足を怪我しまして、代わりとして取り寄せたものでございます」
「ふむ……」
九郎が手を伸ばすと、確かめるように匂いを嗅いだ後、親しげに鼻面を摺り寄せてくる。人懐こい仕草に、九郎の目が和んだ。その様子を見て、望美が嬉しそうな声をあげる。
「ねっ、可愛いでしょう?」
「確かにな」
軍馬と異なり、乗り手が毎回異なる場合がある早馬には、確かにこれ位人馴れした馬の方が向くかも知れない、と九郎は内心で頷く。
「この子、まだ名前が無いんだって。名前を付けても構わないと言ってくれたんですけど――本当につけちゃってもいいんですか?」
「源氏の神子様に名を頂けば、この馬も発奮するでしょうて。あっ、無論、九郎様が宜しければですが……」
恐る恐る伺いを立てる馬番に、九郎は破顔して頷いた。
「馬の名前如きで文句を言うような俺ではないぞ。お前たちが構わないのであれば、望美の選んだ名を馬に与えてやるといい」
「はっ」
二人揃って叩頭する馬番たちを見遣った後、九郎は望美へ視線を移す。
「それで名前はもう思いついたのか?」
「ううん、まだだよ。――明日でも、いいですか? 今日はちょっと急ぐので……」
言葉の後半を馬番に向けると、彼らは優しい笑顔で頷いた。
「勿論、問題ありません。いい名前をお待ちしております、神子様」
「ありがとう! じゃあ、九郎さんをお借りしていきますね」
最後にもう一回、馬の首筋を愛しげに撫でてから、望美は九郎を振り返る。
「行きましょ、九郎さん」
「ああ」
頷き、二人は並んで門の外へと向かう。
梶原邸はそれほど遠くない。歩いて向かっても僅かな距離だ。だからこそ、望美が一人で供――別の八葉の同行もなく訪れる事が出来るのであるが。
仲睦ましげに歩き去る二人の背を見送った馬番たちは、馬の手入れを再開しながら口々に話す。
「本当にお二人とも、仲が宜しいようで」
「全く。美丈夫の御大将と愛らしい神子姫様が並ぶと、まさに眼福じゃのぅ」
「これで源氏が勝利しない訳がないですね」
馬たちの毛並みを整えつつ、馬番の二人は楽しげに笑った。
「ただいまー」
望美の明るい声が京邸の土間に響く。
九郎が足元を清めていると、程なく朔が現れた。
「おかえりなさい、望美。九郎殿もいらっしゃい」
「朔殿、お邪魔する」
軽く会釈すると、朔はゆったりとした微笑を浮かべてそれに応じる。
「望美、兄上が探していたから、行ってあげてくれるかしら?」
「景時さんが? うん、すぐに行くね。……九郎さん、ごめんなさい。先に景時さんの御用を片付けてくるから、少し待っていて下さい」
「ああ、分かった」
頷いた九郎は、朔に向き直る。
「そういえば弁慶がこちらに伺っているとの事だが、来ているだろうか」
「ええ、いつもの部屋に篭っているようですわ」
仄かに溜息の混じる声に、九郎は眉を寄せる。
「またか。……あいつもいい加減書物を整理すれば良いのに」
「床板の抜けるようなことさえなければ、構わないのですけれど……このままですと、近い将来現実になってしまいそうで」
ふ、と視線を遠くした朔は、我に返ったように照れた笑みを浮かべる。
「いやだわ、こんな話をしてしまって。私も兄上の所に行きますが、九郎殿はどうぞごゆるりと」
「すまない。俺は弁慶の所にでも行かせて貰おう。望美にもそう伝えてくれないか」
「ええ、分かりました」
会釈をして歩み去る朔とは別の方向へと九郎は足を向けた。
既に勝手知ったる景時の邸である。案内も無く、目的の室へと進んでいく。
景時の邸に弁慶が借りている部屋は二つあるのだが、とりあえず手前――荷物置き場ではない方の、人が入る事が出来る部屋へと向かえば、簀縁のところに弁慶が端座しているのが見えた。
「九郎? どうしたんですか?」
膝上に広げていた巻物を畳みながら弁慶が顔を上げる。
「いや、特に用は無い。お前こそ何をしているんだ?」
「こちらに置かせていただいている書物の虫干しです。今は片付けているところですが。……ふふっ、珍しいですね。特に用事も無く、こんな日の高い内に九郎が京邸へ来るなんて」
「そうかもしれん」
冷たい飯を食べるのは味気ないから、と、九郎と弁慶は朝夕の食事を京邸で摂る事も多い。勿論、景時との軍議も共に出来るから、という表向きの理由もあるが、本音をいえば『譲の飯が美味いから』という単純明快な理由である。
弁慶の隣へと腰を下ろし、九郎は庭へと目を向ける。
「実は望美に呼ばれたんだ」
「望美さんにですか?」
軽く眉をあげた弁慶は、ふと視線を遠くへ向ける。それから何事か納得したように頷くと、九郎へ笑みを向けた。
「本当に君たちは、仲がいいですね」
「は?」
「だって望美さんが九郎の事を呼びに行ったのでしょう。わざわざ、六条堀川まで」
弁慶の内部ではきちんと筋道が立って出てきた言葉のようだが、言われた九郎にしてみれば唐突すぎる言葉である。
「何で分かるんだ!? お前、まさか見ていたのかっ!?」
驚いて声をあげた九郎は、弁慶の哀れむような視線を受けて、ぐっと口を閉ざす。
「見ていなくても分かりますよ。六条堀川から呼びつけられて、その上待たされて――普通なら文句の一つでも出ていそうなのに、何も言わないじゃないですか。大人しくこんな所で待っているということは、来てすぐに望美さんに会ったか、来る前から望美さんと一緒だったか。――この二択なら、恐らく後者かなって」
考えるまでも無い結論ですよ、と笑う己の軍師に、九郎はがっくりと肩を落とした。
「俺はそんなに望美へ文句を言っているか?」
おや、と弁慶は九郎の顔を見る。
訝しげな表情は一瞬で消え、再び柔らかな微笑が弁慶の口元に浮かぶ。
「そうですね。君は言葉を飾らず、真っ直ぐに話しますからね」
「……」
物は言いようだが、要するに『時々言い過ぎている時があるのは事実ですね』と、弁慶の視線が告げている。
「言葉を惜しんだり、隠し事をするよりはいいと思いますよ」
「それはお前の体験談か?」
「さぁ。どうでしょうね」
弁慶は膝上で纏めていた書簡を手に持つと、室内へと運びいれた。九郎に背を向けてそれらを片付けながら、言葉を継ぐ。
「まぁ九郎もそういう事を気にするようになったのは、いい事だと思いますよ」
九郎からの応えはない。多分、自分の言葉の意味を考えているのだろうと弁慶は解釈する。
虫干しを終えた書物を順番に重ね、自分なりの基準を持って棚の上に置いていく。まさに積み上げているだけなのだが、弁慶基準では十分片付けた事になるのである。
「よし、これでいいですね」
満足げに呟くと、弁慶は立ち上がって太陽の位置を確認する。
(そろそろだと思うのですが……)
やや傾いた陽射しは、そろそろ夕刻になる事を示していた。更に目を凝らせば、屋根の上に人が居るのが見えた。夕日を淡く弾く長髪を高く結い上げている青年は、弁慶の視線を受け止めると、頷きを一つ残し音もなく屋根の向こうへと消え去った。
「それでは九郎。行きますよ」
「は? 何処へだ?」
「勿論、望美さんのところですよ」
不思議そうに瞬く男を見下ろし、弁慶は慈愛の笑み――若干黒い成分を含むのはいつもの事――を浮かべた。
- 前編:END -
||| あとがき |||
2009年九郎生誕記念連作・その1です。
前編・後編をベースに、短編が何本か続きます。

