緋の誓約(前編)

2009.11.16
五章 福原~ : 「緋の烙印」 → 「緋の嚆矢」の続き
ご注意 後編に死亡ネタ(共通A七章「京は火炎に揺らめく」)が含まれますので苦手な方はご遠慮下さい

- ヒノエ×望美


 熊野水軍は、源氏への加勢を断った。但し、平氏への肩入れもしない。
「要するに『友好的中立』ってことだね」
 己が決めた方針を、あたかも別人が定めた策のようにヒノエは語ってみせる。
 別当との面会後、今後の方針を決めるために彼らは集まっていた。といっても、八葉全員がいるわけではない。源氏の大将と軍師、白龍の神子――そしてヒノエの四名である。他の面々は、それぞれに熊野を出立する準備を始めていた。
「現状では悪くないんじゃないのかい? なぁ、弁慶」
「そうですね」
 名指しされた源氏の軍師は、白湯を飲みながら穏やかな表情で頷いた。
「背後を討たれない確約があるだけでも、随分違います。それにヒノエも同行してくれるとの事。今後を思えば、なかなかの結果ではないでしょうか」
「今後を、って? そんなにヒノエくんが来るだけで変わりますか?」
 大きな目を瞬きながら望美が問いかける。
 疑問があれば迷わず口にする望美の気質を、ヒノエは割と好ましく思っている。疑問を呈するべき時と、そうでない時の見分けが、望美は上手いと思うのだ。馬鹿げた質問を口にして話を中断させるのは最悪だが、本当に分からない事はその場で押さえておかねば、後の話が更に分からなくなる。
「まずは戦力の補強ですね。これからますます怨霊との戦いは厳しくなるでしょう。将臣くんは吉野で別れると言っていますが、ヒノエが加われば多少は役に立ちます」
「多少はとは酷いな。姫君の為ならオレも本気を出すぜ」
 思わずヒノエがツッコミを入れれば、その言葉の後を弁慶が流れるように引き継いだ。
「――と、本人が言っていますので、望美さん。存分にヒノエを使ってやると良いと思いますよ」
「野郎のために働いてやる気はねぇよ」
「ええ、ですから望美さんのためで十分ですよ」
(絶対自分の策を、望美に代弁させるな、コイツ)
 柔和な笑みを向ける弁慶へ、ヒノエは殺意の篭った視線を一瞬だけ向ける。お互いに考えていることなど百も承知だ。弁慶も涼しい顔をしてヒノエの無言の恫喝を受け流し、望美への説明をさらに続ける。
「それに、何よりも、ヒノエは熊野水軍の一員です」
「……つまり『源氏に気勢あり』と判断すれば、熊野の加勢を得られる可能性もあるということか?」
 それまで黙って話を聞いていた九郎が口を挟む。彼の視線を受けて、ヒノエは小さく頷いてみせた。
「ま、その可能性は否定しないね」
 間諜とまでは言わないが、源氏軍の内情を探ることを隠すつもりもない返答に、九郎は僅かに眉を寄せた。しかし、弁慶が――彼が全幅の信頼を置く軍師が特に何も言わないので、そのまま口を閉ざす。だが憮然としか言いようのない表情を見て、望美が『九郎さん、皺できてるよ』といって額をつつく。それへ九郎が文句を返し――とじゃれあう兄妹弟子の無駄会話を、弁慶のさりげない咳払いが停止させる。
「あ、ええと~」
 望美は『ちゃんと話を聞いてますし考えていますよ!』とアピールするために、改めて弁慶に向かい直った。
「ということは、ヒノエくんが私たちを観察した結果が、熊野の方針に反映されるっていうこと、だよね」
「そういうことですね」
 弁慶の頷く様子を見た望美は、くるりとヒノエに向き直る。
「ヒノエくんってすごいんだ! それだけ、熊野別当さんに信頼されているんだね」
「……あー、いや、それほどでもないけど」
 弁慶が意味ありげに向けてくる視線が鬱陶しい。
 ここにいる四人で、ヒノエの正体を知っているのは弁慶だけ。思わず舌打ちが出そうになるが、望美が続けて口にした言葉がヒノエの苛立ちを和らげた。
「うーん、そうだね。別に熊野別当さんに認められるために戦うわけじゃないけれど、怨霊を封じる事の必要性を分かってもらえたら嬉しいな、と思う。私が守りたいのは、源氏だけとかじゃなくて、京も、熊野も、全部含まれるのだし。――だからヒノエくん。私、頑張るから、見ててね?」
 緩やかに傾げられた首と、浮かぶ表情のあどけなさに、ヒノエは僅かに相好を崩す。
 熊野の力を出すことはできなくとも、彼女のために己の力を使うことはやぶさかではない。
 今、見せているような可愛らしい少女の姿。そして先日裏山で見た、どこか苛烈な神子姫の姿。ふとした瞬間に切り替わる彼女の二面性は、常に新鮮な驚きに満ちていて、見飽きることがない。
(どっちが本当のお前なんだい?)
 一瞬たりとも目の離せない姫君は、熊野を離れた場所でどんな顔を見せてくれるのか。考えるだけでも、ぞくぞくする。
「オレが姫君の雄姿を見逃すはずないだろ? ずっと、傍で見ているぜ」
 紫苑の髪の一筋を掬い上げる。そのまま唇を寄せていくのは、誰にでもやる挨拶代わりの仕草。だがそれが、ただ一人へ捧げる睦言に変わる日も遠くない――そんな予感すら、ヒノエは抱くのだった。


 その数日後、彼らは熊野を後にした。予定通り将臣は吉野で別れ、京へと戻ってきた一行を待っていたのは、福原で和議を行うという知らせだった。
 和議会場の警備を命じられるかと思った九郎たちへ実際に下ったのは、平家への奇襲命令だった。
『こちらの魂胆を見抜けぬようなら、それは平家の方が悪いのですよ』
『この奇襲は、信用という貴重な手札と引き換えにするほどの上策とは思えないのですが』
 政子の言葉、弁慶の反論、どちらにも一理ある。
 それでも、九郎に彼女の命に異議を唱える事が出来ない。苦渋の表情で諾意を返すのが精一杯だった。
 政子が去った後、肩を落とす九郎の傍には望美がいる。何事か、一生懸命九郎へ語りかけている彼女の背を、少し離れた場所でヒノエは見つめていた。
(福原攻略、か)
 普通であれば奇襲は成功するだろう。しかし、勝率百割と断ぜられない理由がヒノエにはある。還内府――どこか古臭い戦法を旨とする平家の中で、斬新とも奇抜とも言える策を見せる男を、ヒノエは高く評価していた。
 彼の裏をかけねば、福原での勝利はないだろう。
 そして自分ならばこうする、という腹案がヒノエにはある。
 だが今の九郎の様子では、それを告げたところで受け入れるとは思えない。また、案を告げてしまえば、ヒノエは――熊野は、完全に源氏へ肩入れする事になる。
(まだそこまでは出来ないな)
 ゆるりと首を振り、背を凭れさせていた木から身を起こす。
 せいぜい今出来る事は、自身と、己が大事に思う存在を守ることくらいだ。
(敦盛は辛いだろうな)
 覚悟は出来ていると、毅然とした表情を崩さなかった敦盛だが、全て割り切っているわけではないだろう。特に今回、彼の兄が出てくる可能性は高いとヒノエは踏んでいる。仲の良い兄弟が戦場で向かい合うなど、武士の世のならいとはいえ、やはり心穏やかに見られるものではない。
(それに姫君は、どうなんだろうか)
 怨霊との戦いとは違う、人と人との殺し合いがこの先には待っているだろう。しかも作戦通りに奇襲が成功すれば、一方的な虐殺となるはずだ。戦場で流れる血以上に、敗者から叩きつけられる怨嗟の声を彼女は耐えられるだろうか……?
 ただそれだけが、ヒノエは心配だった。
 視線の先では、九郎がやっと気力を取り戻したか、いつものようにピンと背筋を伸ばして陣幕の奥へと歩き去るところだった。手を振って彼を見送っていた望美へ声をかけようとヒノエが足を踏み出しかけた瞬間、くるりと望美が振り向いた。篝火に照らされた少女の顔が、ふわりと笑みを浮かべる。
「ヒノエくん!」
 名を呼んで、望美はヒノエの元へと小走りに駆け寄ってきた。
「よかった、ヒノエくんの事を探そうと思っていたんだ」
 その声の甘さに、ヒノエの胸が思わず高鳴る。ただ名を呼ばれただけでこれほど興奮するだなんて、子供じゃないんだからとも思うが、抗いがたい魅力があるのだから仕方ない。
「オレを? それは聞き逃せない言葉だね。――神子姫様との逢瀬なら、いつだって大歓迎だよ」
「もう、そういう意味じゃないってば! 少し、話がしたかったんだ。時間大丈夫かな?」
 戦の準備は大丈夫かと問う声に、心配無用だと胸を張る。
「準備なんて、この身一つあれば十分さ。オレにとっては、姫君と共に過ごす時間の方がずっと重要だね。それで話ってなんだい?」
 微笑みながら言葉を促してやれば、望美は小さく頷いて口を開いた。
「あの、ね。話っていうより、謝りたかったんだ」
「謝るって何をだい?」
 心底不思議そうに瞬いたヒノエから視線を逸らし、望美は低く沈んだ声で答える。
「ヒノエくんをとんでもないことに巻き込んじゃったから。……ごめんね。大変なことになっちゃって」
 その声の響きに、ヒノエは「あぁ」と声を漏らした。
「なんでお前が謝るんだよ?」
「だって……」
「おいおい、姫君。オレを甘く見すぎじゃないかな?」
 少し苛立った声で告げる。だがそれは彼の意図通り、俯いた望美の顔を上げさせることに成功した。真正面から合わさった翡翠の瞳へ、ヒノエは艶やかな表情で片目を瞑ってみせる。
 怒ったりしていないよ――と、そう告げる仕草に、ぱっと望美の頬が薄赤く染まる。
「このくらいは予想の範疇だぜ? それに、オレは自分の意志で、お前の八葉でいることを選んだ。この戦場に立つ事も同じ。――だからさ、姫君の愁眉を曇らせる必要は全くないんだぜ。オレはオレの選択を、間違ったとは思っていない」
 きっぱりと言い切り、でもな、と言葉を継ぐ。
「姫君がオレの事を心配してくれたのは素直に嬉しいよ。ありがとな、望美」
 するりと顔をよせ、篝火を照り返すなめらかな頬へ口づけると、慌てたように望美は両手で頬を隠した。
「ちょ、そういうことするの駄目って言ったよね!」
「ふふっ、ようやく元気出たみたいだね。上等上等」
「……んもう、真面目に話しようと思ってたのに」
 拗ねたように告げると、望美はヒノエの胸元を軽く叩いた。それは将臣や譲相手にやっているような親しげな仕草とよく似ていて、ヒノエの目元が僅かに和む。
「戦が始まったら、余計な事を考えずに、生き延びる事だけを考えろよ? 白龍の神子の力は、怨霊に対するものだ。人と戦うためにあるわけじゃない」
 ヒノエの声が孕む真摯な色合いに、望美は思わず彼の目を見つめる。
「分かってるよ。戦も初めてじゃないもの」
「初めてじゃない? っていうことは、もしかして三草山の戦いにも参加してたのかい?」
「うん。九郎さんたちの陣に加わったのは春なんだ」
「そっか。――そういえば、春先に源氏の御曹司が連れてきた”巫女”が神泉苑で奉納舞をしたと聞いたな。もしかして、それ……」
 ヒノエの疑問に、望美はやや視線を遠くしつつ頷いた。
「なんというか色々とあって……九郎さんに頼まれて、法皇様の前で舞った事はあるよ」
「羨ましいね」
「え?」
「姫君の舞を、春の京で堪能出来るなんて――まさに天女の如き麗しさだろうな。花断ちを披露する勇ましいお前も好きだけど、春色の衣を纏い、桜の下で舞う姫君の姿を想像するだけで、こう……胸が熱くなってくるよ。万人にその美しさを知らしめたい、だけど同時に、オレだけの神子姫様でいて欲しいと……」
「ヒ、ヒノエくん。それ以上の口説き台詞は禁止!」
「あれ。口説いているって認識してくれているんだ?」
 悪戯っぽい口調で問いかけると、望美の頬が更に色味を増した。
「す、好きって言われれば流石に分かるよ!」
「ははっ、それもそうだね」
 楽しげに笑うヒノエを、望美は上目づかいに睨みつけた。
 熊野からの旅路、そして京邸での生活を通して、少しずつ二人の距離は近づいていた。
 まだ色気ある関係ではない。望美の恋愛意識は驚くほど低い。回りくどい睦言は一切理解されず、思いきり直截な言動でなければ、彼女の胸中に届かない。恐らくは幼馴染の青年二人のせいだろうと思うが、おかげで変な虫が付きにくいと思えば有難いことだ。
 時間と手間をかけてヒノエは『白龍の神子』ではない『春日望美自身』への愛を囁いた。今ではただの八葉としてではなく、異性として多少は意識してくれているとの自負もある。その結果、ようやく先ほどの様な望美の反応が引き出せるようになったのだ。ヒノエとしてはあともう一歩かな、という所である。
「それはともかく、折角京にいたのに、お前の艶姿を見られなかったのは残念だな」
「え、ヒノエくんも春、京にいたの?」
 驚く望美へ、内緒だよと前置きしてから小声で囁く。
「実は六波羅に隠れ家があってね。ちょっとした用事で、暫く京に滞在していたんだ」
「そっかぁ。それじゃ、もしかしたらどこかですれ違っていたかもしれないね」
「もっと早く知り合っていれば、オレが花の京を案内してやれたのに」
 無邪気な言葉に、ヒノエは柔らかく微笑む。
 本当は、春の京で声をかける機会は何度だってあった。彼が京の隠れ家に滞在していた理由の一つは、白龍の神子が何者かを知ること。当時はその外見を見るくらいしか叶わなかったし、彼女の内実を知ることはなかった。望美と共に過ごせなかった時間を惜しく思う気持ちはあれども、あの時はそれでよかったのだと――今は思う。
 春に出会ってしまっていたら、夏の熊野で感じた彼女への新鮮な驚きはなかったに違いない。あの日に抱いた熱は、今でもヒノエの中でかけがえのない時間として刻まれているのだ。
 そして、得られなかったはずの時を思うからこそ、生まれる願いもある。
「ねぇ望美」
「なに、ヒノエくん」
「戦が終わって春になったら、京の桜を一緒に見に行こう。そしてオレの為に舞ってくれよ。――もしもお前が、オレを戦いに巻き込んだ事を何もなかったと思えないなら……その約束で、帳消しにしようぜ。な、いいだろ?」
 風に揺れる紫苑の髪を取り、指先に絡めとりながら未来の約束をねだる。
「次の……春?」
「ああ。下鴨神社なんかいいな。あそこの桜はサイコーに綺麗なんだぜ。お前に是非見せたいよ」
 頷くヒノエに、望美は少し躊躇う様子を見せた。それに気づいたヒノエは、窺うように問いかける。
「もしかして、二人きりっていうのが嫌なのかい?」
「え? ……ううん、ゴメン。そうじゃなくて」
 ふるりと首を左右に振った望美は、暫しの逡巡の後に承諾の意を示すように頷いた。
「約束だよ、望美」
 その時ヒノエは気付かなかったのだ。
 望美がただ頷くだけで、『約束する』とも『一緒に行こう』とも言えなかったことに。


- 後編へ続く -

 

||| あとがき |||

後編には死亡ネタ(共通7章)が含まれますので、苦手な方はご注意下さい。


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