恋する如くに
拍手御礼SS 011 … 2010.07.06~2010.09.02まで公開
- 弁慶×望美
振り返ったその時、既に視線は無かった。
(誰か居たような気がしたんだけどな)
「どうかしたの、望美? もしかして、足が痛いのかしら」
隣を歩いていた朔が、訝しげに声をかける。
よく晴れた、春の午後。市場に買い物に出かけた帰り道、ふと背後から強い視線を感じたような気がして振り返った望美だったが、視界には誰も捉える事は出来なかった。
「ううん、足は大丈夫だよ、朔」
望美は笑顔で首を横に振り、前に向き直る。
「それならいいけれど、まだ痛めたのは昨日の夕方なのだから、気をつけないと」
穏やかに微笑みながらの声に、望美は情けない表情で眉を寄せた。
怨霊探索の帰り道、ふとした事で躓いた望美は、倒れるのを堪えようとして無理な姿勢をとったのがいけなかったのか、足首を少々捻ってしまっていた。すぐに弁慶の手当てを受ける事が出来たので大した事にはならなかったが、捻挫は刀傷などとは異なり、目に見えて治りが分かるわけではない。
「うう……、ごめんね朔、心配かけて」
「いいのよ。私が対であるあなたを心配するのは当然の事なのだから。いいえ、むしろ迷惑でなければいいのだけれど」
「そんな事! 朔が迷惑だなんて、そんなこと絶対にないから!」
拳を握って力説する様に、片手を口元に添え、ころころと朔は笑う。
「いやだわ、そんなに気合を入れて言うようなことでもないでしょう」
ひとしきり笑った後、ふと心配そうに眉を寄せる。
「でも本当に大丈夫なの? 確かに歩いていても痛みはなさそうだけど、無理はしていないわよね?」
「勿論だよ」
真面目な面持ちで頷く。
「弁慶さんにも痛みが消えたら動いていいですってお墨付き貰ってるもん。ほら、ジャンプしたって大丈夫なんだから」
その場でぴょんぴょんと飛んでみせる望美に、朔は慌てて彼女の袖を掴む。
「分かったわ、望美。分かったから、足に負担はかけないで」
「本当に痛くないんだけどな~」
不満げに頬を脹らませると、朔は目を細めるようにしながら望美の手を握った。
「ふふ、ちゃんと信じているわよ、望美。でも、あまり長々と外にいては、今は良くても疲れてしまうでしょうし、白龍たちも待っているでしょうから、早く家に戻りましょう」
「そうだね! 帰ろう」
ぎゅっと繋がれた手を握り返し、望美は朔と並んで歩き出す。
そして程なく辿り着いた京邸の玄関で、望美は再び先程と同じ視線を背に感じる。
(あれっ、また……)
鎌倉で女子高生をやっている時は、これほど気配に聡くは無かった。逆鱗を使い、何度も時空を移動し続けた過程で、剣の腕が上がるのと同じように、他者の気配を感じ取る術も少しずつ長けて行ったのだ。
「朔、ごめん。先に行ってて」
「え? 望美?」
携えてきた荷を置くと、望美はぱっと身を翻した。
(さっきの視線は後ろじゃない、庭の方だ)
梶原邸の庭に入れるという事は、つまりは身内と言うこと。
だとしたら、視線の主が誰か――望美には心当たりがあった。
全力で走り、角を曲がり中庭へ抜ける。二つ目の角を駆け抜けた所で、ようやく目的の人影を視界に捉えた。回廊を進む背へ、ぶつけるように声を投げかける。
「……ッ、弁慶、さん!」
僅かな息切れを整えながら、彼の名を叫ぶ。一拍遅れて歩みを止めた青年は、ゆっくりと――優雅なほどの動きで振り返った。
「おや、望美さん。どうしたんですか、そんなに息急き切って」
微かな足音を立てながら戻ってきた弁慶は、板張りの床に膝をつき、庭に立つ望美と視線を合わせる。
「どうした、の、は……」
「ほら、落ち着いて。息を整えてからでいいですから」
とんとん、と肩を叩いて促す弁慶に頷き、望美は膝に手をあてて呼吸を整える。数度深呼吸を繰り返してから、勢いよく顔を上げる。
「ふぅ、すみませんでした」
「いえいえ。それで何か御用ですか?」
「用っていうか」
ふと言い澱むように言葉を切り、なんて言おうか考えるように首を傾けた。
数秒脳裏で色々考えるが、言葉を飾っても弁慶にはあらゆる意味で無駄だな、と思いなおし、すぱっと直球な言葉を投げかける。
「弁慶さん、市のあたりで私たちのこと見てませんでした?」
「ええ、見ていましたよ」
あっさりと頷かれ、流石に望美も大きく見開いた目を数度瞬く。
「あ、そ、そうですか……」
むしろ適当にはぐらかされるだろうと思い込んでいた望美は、あまりにも真っ直ぐ返された答えに、続ける言葉を失ってしまう。
「質問はそれだけですか?」
喉の奥で笑いながらの声に、望美は無言で頷いた。
「そう……です」
「じゃあ折角ですから、僕の用事も済ませようかな。――ちょっと失礼しますね」
言葉と共に、弁慶は望美へ向けて腕を伸ばす。
「え? うわっ、べ、べ、べ、べんけいさん!?」
ひっくり返った声を上げる望美を意に介さず、弁慶は彼女の両脇に手を差し込むと、そのまま一息に持ち上げた。軽々と少女の身体を抱き上げた弁慶は、丁寧な仕草で望美を床に座らせる。
「わ、び、びっくりした」
片手を胸元にあてて呟く声に、弁慶は楽しげに目を細めた。
「そんなに驚かなくてもいいと思いますけどね」
「急にあんなことされたら、誰だって驚くに決まってますっ! ああっ、靴も履いたままだし」
朔に怒られる、と肩を竦めながら、望美はスニーカーを手早く脱ぐ。そして改めて座り直そうとした所で、弁慶が望美の足を捉えた。
きつく掴まれた訳ではない。だが望美は封じ込められたかのように動けなくなってしまう。
そっと包み込むように弁慶の両手のひらが捉えたのは、望美が昨日痛めた右の足首。
「痛くはないですか?」
指先で肌を辿りながら問う声に、無言で頷きかけて、慌てて「はい」と応えを返す。
「そうですか。歩いている姿を見ても、特に引き摺る様子も無かったし、大丈夫だとは思ったのですが、君は随分と無理や無茶をする癖があるようですし、さっきも勢いよく走って来たから心配だったんです。ふふっ、これで安心しました」
何箇所か患部を指で押し、望美の反応を確認した後、弁慶は頷いて手を離した。
「ありがとうございました」
乱れたスカートの裾を整えるように座り直し、望美はじっと弁慶の顔を見つめた。
「もしかして、弁慶さん。外で見てたのって、足を気にしていてくれたんですか?」
「見かけたのは偶然ですけどね。やはり治療をした以上は責任がありますし、それに――」
僅かに言葉を切り、弁慶は伸ばした指先で望美の顎の線を軽く辿る。
「龍神の神子の心配をするのは、君の八葉として当然の事です」
するりと退いた爪先が、微かに唇の端を掠めていく。僅かに赤面した望美へ微笑みかけると、弁慶は綺麗な所作で立ち上がった。その後ろに遠く響くのは、弁慶の所在を問う呼び声。
「九郎が呼んでいるみたいなので、失礼しますね。ああ、長く歩いたのでしょから、寝る前に足湯でもするといいですね。疲れを取るのにいい薬草をお分けしますよ」
「すみません、ありがとうございます」
顔を上げる事が出来ず、俯いたまま頭を下げれば、穏やかな笑みの気配が降ってくる。
「いえ、気になさらないでください。明日は怨霊の探索もありますしね。ではまた後ほど」
しゅるりと衣を微かに鳴らし、弁慶が歩み去る。
板敷きの通路に腰を下ろしたまま見送った望美は、彼の背が消え去った後、のろのろと立ち上がった。
「無理をする癖、かぁ」
弁慶が零した言葉を、反芻するように望美は呟いた。指先が胸元に隠れた逆鱗を無意識に探り取り、握りしめる。
「無理なんかしてないけどな。まだまだ私の努力は足りていないし」
だけど、と望美は言葉に出さずに思う。
何と比べてかは知らないけれど、癖だ――と言うほどに、自分を彼が見ていてくれるのだとしたら。
(そんな事が嬉しいだなんて、これじゃまるで恋しているみたいだ)
胸元を掴む指を見下ろす目元が、赤く熱を持っている事を自覚しながら、望美は高鳴りそうになる鼓動を必死に抑えようとするのだった。
- END -
||| あとがき |||
春の京、の話です。多分二周目か三周目くらいかな。
比較的序盤の、なんというか…微妙に相手を探っている、そんな時期の話。