紫陽花
拍手御礼SS 010 … 2010.06.09~2010.07.06まで公開
- 弁慶×望美
「随分と紫陽花が多いんですね」
「そうですか? でもこの時期に綺麗に咲く花ですからね」
弁慶がぽつりと呟いた言葉に、望美は目を細めるようにして笑って応じた。
買い物の帰り道、少しだけ遠回りをして歩く路傍に、沢山の紫陽花が咲いている。小さな空き地の片隅や、綺麗に整えられた玄関脇のプランター。白からピンク、そして紫。青みを帯びた物から紅色が強いものまで、実に様々な色合いが煌めいている。
一際多くの花弁を開いている花の前に望美はしゃがみこむ。その隣に弁慶も膝をつくと、ちらりと視線を動かした少女は、唇の動きだけでありがとうと言って笑った。
「これが咲くと、ああ梅雨の時期だなぁ~って思うんですよ」
「あまり嬉しくはないんですか?」
どことなく溜息に似た気配を孕む声に、弁慶は思わず問い返す。
「んー、別に嫌なわけじゃないんですけど、雨が続くと髪の毛がじめじめするし、制服のプリーツも崩れるし、そういうのが鬱陶しいだけで、別に雨が駄目ってわけでもないんですよね。雨が降らないと、夏に水不足になるし」
「なるほど」
一息に列挙された言葉に、弁慶は僅かに目を細めて笑った。
「なんか結局、雨が好きじゃないよって言ってるみたいでしたけど」
照れくさげに呟いた望美は、紫陽花に指を伸ばしながら「でもね」と言葉を継いだ。
「紫陽花は好きなんですよ。見飽きないっていうのかもしれないけど」
そっと指先で紫陽花に触れながら、弁慶を振り仰ぐ。
「すぐにころっと変わるわけじゃないけど、気が付くと花の色が変わっていて、なんだか『いつの間に!』ってびっくりしたり、そういうのが面白くって好きなんです」
「紫陽花の色の変化を楽しむ――というのは、僕からすると少し不思議に感じますね」
「そうなんですか?」
「ええ。……でも、あまり人様の御宅の前で長話もいけませんね。行きましょうか」
訝しげに瞬いた望美に頷くと、弁慶はすっと立ち上がる。彼女に片手を差し出して立ち上がらせると、そのまま手を繋いで歩き始める。
「言問はぬ 木すら味狭藍 諸弟らが 練の村戸に あざむかえけり」
「和歌、ですか?」
「そうです。細かな意味は省略しますが、要するに紫陽花を欺きの代名詞のように使っている歌ですね」
「色がコロコロ変わるから? なんか嫌だなぁ……」
軽く頬を膨らませた望美は、ぎゅっと弁慶の手を握り返す。
「そんなマイナスの表現にしないで、『色んな表情が見られる』って思えばいいのに」
「え?」
「なにか私、変なこと言いましたか?」
思わず聞き返した弁慶へ、望美は大きな目を瞬いてみせる。
「いいえ、そういう訳ではないですが、ただちょっと意外だったので」
「そうかな? でも、そうですね。紫陽花の移り変わりを観察するのもいいけど、私は弁慶さんの、もっと色んな表情を知りたいかな……なんてねっ」
最後、照れたように視線を逸らした望美のこめかみへ、弁慶は素早く口づけを落とす。
「ちょっ、弁慶さん!」
ここ外! と顔を一気に赤く染めた望美が抗議するのを、弁慶は晴れやかな笑顔で受け止める。
彼女は分かっているのだろうか。
自分に様々な感情を抱かせるのは、ただ一人、春日望美という人物だけだと言う事を。
だがその事は口にせず、弁慶は目元を和ませて言葉を紡ぐ。
「僕も、君の色んな表情を見てみたかっただけですよ」
自分がそうであるように、彼女のどんな表情も、自分のために生まれているのだと――そう思いたい。
密やかな願いを込め、弁慶は握り締めた少女の指先にそっと唇を寄せるのだった。
- END -
||| あとがき |||
梅雨といえば紫陽花! Twitterで呟いた話がベースになっています。
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ちなみに歌は万葉集からで、「味狭藍」であじさい、だそうです。