眠れぬ夜に

2010.07.08
ヒノエ←望美的な話? で、夏の熊野

- ヒノエ×望美


「眠れないのかい?」
 頭上から降ってきた声に、望美はゆるりと顔を上げた。
「ヒノエくん」
「やぁ今晩は、神子姫様」
 挨拶を口にしながら、ヒノエは望美の隣に腰を降ろす。片膝を立て、そこに肘を乗せながら、首を傾げるようにして望美の顔を覗き込んだ。
 丸い膝小僧に頬を埋めるようにして座り込む少女を最初に見つけたのは、実は随分前の事だった。烏への連絡に、ヒノエが宿を抜け出したのは半刻ほど前。その時と寸分変わらぬ姿勢で居続ける様に、流石に黙って通り過ぎることが出来なかったのだ。
「休まないと、明日が辛いんじゃないのかい? 川の氾濫の原因探りで、まだまだ熊野を駆け回るんだろ?」
「うん、そうなんだけどね。ちょっとまだ、眠りたくなくて」
 珍しく歯切れの悪い声に、ヒノエは内心で訝しさを押し殺す。
 ヒノエは、望美が考えている以上に『白龍の神子』の事を知っているつもりだった。八葉として、源氏一行に同行し始めたのは数日前だが、それよりずっと前――京に居たときから、源平の動向と共に、白龍の神子という存在について、色々調べていたからだ。
 その折に知った『白龍の神子』の言動――もしくは昼間、他の仲間たちの前で彼女がみせる振る舞いと、今自分のすぐ傍に居る望美の様子は、別人かと問いたくなる程に異なっている。
 外見は何一つ変わらないのに、彼女の横顔に沈む愁いは、不思議とヒノエの胸の奥に小さな痛みを残した。それらを振り切るように、ヒノエは敢えて軽い口調で問いかける。
「どうしても眠れないっていうなら、薬湯でも用意するけど? 弁慶の奴が作る奴より、効果は保証するぜ」
「うーん、効果より、苦さをどうにかして欲しいかなぁ」
 あの味は辛いよね、と応じる望美の頬からは、先程の翳が消えている。ヒノエは滲む安堵を笑みに封じ込めながら、望美の方へ手を伸ばした。
「味ねぇ。効く薬は確かに些か味の方に問題はある事が多いけど。じゃあこうしようか」
 くいっと顎を捉え、翡翠の瞳を真正面から覗き込んだ。大きく見開かれた目に、己の姿が映っている。それを眺めながら、ヒノエは滴るような色気を滲ませつつ問いかける。
「苦さを感じないように、オレが口移しで飲ませてあげるってのはどう?」
「それは遠慮します! っていうか、根本的な味の解決じゃないよ!」
 近寄ってくるヒノエの顎と肩を左右の手で押さえ、望美は慌てて距離を取る。少々乱暴な手付きになったが、ヒノエは痛みを訴える事もせず、望美の手に促されるまま上体を元に戻した。
 元より本気で口づけようと思ったわけではない。
 ヒノエは自分自身の言動の効果を知っている。大概の女は甘い囁きに瞳を潤ませ、鼓動を早く弾ませる。数少ない例外が望美で、嫌悪を示すわけではないが、大なり小なり彼の言動への反発が返って来る事が殆どだ。文句に似た言葉を口にする事で、望美の気分が浮上するならば、それはそれでいいと――そんな風にも考えていたのだ。もし万が一、望美が色仕掛けを受け入れるならば、それもまた一興だ、と内心で嘯く。
 果たして少女の反応は予想を大きく外れる事は無く、思惑通りに動いた事に、ヒノエはゆるりと笑った。
「つれない姫君だね。ま、薬が必要になったときはいつでも『手助け』するからさ。遠慮なく言っておくれよな」
「気持ちだけで十分ですから。あっ、でも……」
 ふと言葉を切った望美は、離したはずの距離を無造作に詰め、ヒノエの肩口に己の額を寄せた。
 ことんと寄りかかるような、だけど触れる場所はただ一箇所だけの、実にささやかな接触。
「……望美?」
 逃げた筈の少女が再び近づいてきた事に、ヒノエは不可思議な思いで首を傾げる。
「あのね、私、犬を飼ってたの」
 唐突な言葉に面食らい、据え膳食わぬは――とばかりに望美の身体を引き寄せようとしていたヒノエの手が止まる。
「不思議なんだけどね、いっつも箪笥とか壁とか、そんな場所に頭や体の一部をくっつけて寝てたの」
「うん」
 宙で所在なさげに浮いたままの手を床の方へ戻しながら、ヒノエは短く頷いた。
 突拍子も無く会話が飛ぶのは、望美との会話では結構ある事で、とりあえずヒノエは相手の言葉を聞く事に意識を傾ける。
「私とか家族にくっついて寝る事もあるんだけど、そんなの寝にくいんじゃないかなぁってずっと思ってたんだ。でも最近、その理由が分かる気がしたの」
 額越しに感じる、仄かな体温。
 手を繋ぐほど強くは無く、だけど確実に伝わる温もり。
「――何でもいいから、自分がどこかに触れていると、安心出来るんだなって。そう思ったんだ」
 やや長い沈黙の後、ぽつりと零れた呟きに、ヒノエは苦笑を浮かべ、改めて望美の身体を引き寄せた。
 彼の膝に乗り上げるような形で抱き締められ、望美は腕から逃れようと身を捩るが、抵抗空しくしっかりと抱え込まれてしまう。
 突然の抱擁に驚いて強張る背を、宥めるようにヒノエは撫でる。柔らかく優しく、まるで幼子をあやすような手付きを何度も繰り返す度に、少しずつ、望美の身体から緊張が解けて行く。手のひら越しにそれを感じ取ったヒノエは、言い聞かせるような声音を紡ぎだす。
「何でもいいじゃなくて、そこはオレだから安心できるって言って欲しいところなんだけど……今の神子姫様とオレの仲では厳しいだろうから、とりあえず『オレが八葉だから』って事でいいよ」
「え……? どういう意味なの?」
 告げられた言葉を理解できず、望美は戸惑いの表情を浮かべる。
「八葉は白龍の神子を守るんだろ? 確かにオレはまだ、自分が八葉だってのに納得したわけじゃないけど、女の子が苦しんでる時に見捨てるような、そんな見下げた男じゃないつもりだぜ」
 低く笑う振動が、触れ合う肌から伝わってくる。
「頼りなよ、オレを。今だけでもいいから」
 望美の迷いを掬い上げるように、ヒノエが静かに呟いた。
 多分ヒノエに取っては何気ない言葉だっただろう。ただ単に、町で擦れ違う少女に投げかける、甘い囁き。それと何一つ変わる事無いのだとしても、ヒノエの言葉は強く望美の心を揺さぶった。
 幾度も時空を越え、その先々で八葉たちと新たな関係を築いてきた。そのループは、既に何度目の出会いなのか数える事を放棄した程に、沢山に積み重ねられていた。
 彼我の間に刻まれたのは、友情だったり恋心だったり様々だけれど、共通するのは唯一つ。一方通行の想い出は、介在する逆鱗の存在故に、二度と口にする事が出来ないという事。
 その事を理性で納得していても、ふとした折に心が悲鳴をあげてしまうのだ。
「頼っても、いいの……?」
 囁く問いが震えを孕む。
 まるで泣き出しそうだ、と恥らいながら俯けば、力強い声が応えを返す。
「いいんだよ。お前が許せなくても、オレが許すから」
 耳元に注ぎ決まれる声に、望美は崩れ落ちる様に身体の力を抜いた。
 白い指先が鮮やかな色合いの衣をぎゅっと掴む。その強さに応じるように、ヒノエの腕が力を増した。包み込まれる温もりは、遠い日の記憶と何一つ変わらない。
 瞬いて涙を散らした望美は、吐息混じりにありがとうと呟き、優しい腕の中で目を閉じた。

- END -

 

||| あとがき |||

既に周回を相当重ねてはいるけれど、実は2章でヒノエを仲間にしていない……というルートのつもりです。我が家の犬が寝ているのを見て思いついた話です。

犬を見てこんな話を考える私の脳味噌がどうなっているのか小一時間問いたい気分ですね。


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