遠い日の憧憬
2010.04.06
迷宮ED後 ※PSPの愛蔵版前提
4/1に更新した「世界は光に満ちて」の続きというか、途中で省略した部分のお話。
※愛蔵版に収録されているイベント(正月)の話を含みます。
※3月の拍手お礼SS「花舞」(倉庫収録済)および4月の拍手お礼SSと微妙にリンクしています。
- ヒノエ×望美
「寒くないかい、姫君」
さくり、と二人の足元で砂が鳴る。
コートを着ていない制服姿を心配すれば、望美は笑って首を左右に振った。
「平気だよ。日差しがあるしね」
「ならいいけど。寒くなったらすぐに言いなよ」
念を押すように告げた後、繋いだままの手を握り直す。それはまるで、そこから熱を与えてやりたいとでも言うかのようだ。
望美の卒業式の後、学校から逃亡した二人は、そのまま海岸へとやってきていた。春というにはまだ早く、水温む季節にはまだ遠い。数ヶ月もすれば多くの人で溢れるだろう砂浜だが、今は二人の影しかない。寄せては返す波は陽光を弾いて輝き、その煌めきにヒノエは目を細める。
「熊野の海がやっぱり最高だと思うけど、鎌倉の海も悪くないね」
「ありがとう」
やっぱり熊野が大好きなんだなぁ、と思いながら、望美はヒノエの賛辞を受け止める。そんな彼女へ、思い出したようにヒノエは問いを紡ぐ。
「ねぇ望美。正月に、皆でここに来た時の事を覚えてるかい?」
「うん、忘れるはず無いよ」
穏やかな口調での問いかけに、望美はヒノエを振り仰ぎ、頷く。
新年に、一年の大漁と無事故を祈り、また海にお礼を捧げる為に船の上から船主がみかんをまくという、昔から漁村に続く『船下ろし』の行事。それを迷宮の事件を解決した後、皆で見に来たのだ。
八葉たちが京へ戻る前、最後に共に過ごした時間――と言っても過言ではない。
「懐かしいね」
過去を懐かしむような年齢でもないが、あの短くも濃密な時間を思えば致し方あるまい。
あの時は八葉、朔、そして白龍と十名を越える大人数で浜を歩いた。勿論ここまでの大人数になれば全員と同時に話せる訳も無く、数人ずつのグループに分かれて騒いだようなものだったが、それでもくるりくるりとメンバーは入れ替わり、沢山の事を話し、笑いあった。
ほんの僅か、しんみりした空気を滲ませる望美を励ますように、繋いだ指に力を込め、努めて明るい口調でヒノエは話す。
「あの時に、姫君はオレに蜜柑をくれただろ?」
「……う、うん」
返事まで不思議な間があった事に、ヒノエは数度瞬く。
「望美?」
問うように名を呼べば、長い沈黙の後、ようよう口が開かれる。
「テキカ、っていうのをね。弁慶さんが教えてくれて」
「――あの野郎、余分な話しやがって」
幾つかの罵倒は口の中に飲み込んで、ふとヒノエは表情を改める。
「あれ。それじゃあ姫君は擲果の事を知っていたのかい?」
「詳しくは知らないけど、その……古い時代の、きゅ……」
恥ずかしげに言い惑う様子に、ヒノエは笑って後を引き継ぐ。
「女の子から男への求婚の儀式だって言うんだろ? まぁ間違ってはいないけれど、厳密には少し違うんだぜ」
「そうなの?」
頬を薄赤く染めたままだが、不思議そうに望美は問いかけた。
「ああ」
頷いて、ヒノエは擲果の由来を語りだした。
「そもそもは擲果満車――擲は投げるって意味で、果は果実。それが車に満ちる……っていう言葉があるんだけれど、これは晋に潘岳(はんがく)っていう男が居てね。いわゆる美形だったらしいんだけど、ソイツが道を歩くと、老いも若きも女たちが彼の気を引こうと果物を投げて、それで潘岳が曳く車が満載になった……っていうのが元らしい」
それが転じて擲果満車で美少年とか人気者とか、そういった意味になるんだってさ、とヒノエは話を結ぶ。頷きながら聞いていた望美は、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「でもなんで果物を投げるの?」
「そこはオレもよく知らないんだけど、ほら、バレンタインってあっただろ。あれみたいに、女の子から男に好意を示す証として、果物を投げたらしいんだよね」
「そうなんだ。本当にヒノエくんは物知りだねぇ」
溜息混じりの賛辞に、ヒノエは誇らしげに胸を張ってみせた。
「ま、こういうのは嗜みとしてね」
「私も一杯勉強しないといけないね」
頑張ろう、と笑う望美の腕を引き、ヒノエは彼女の意識を己に向けさせる。
「それはそれとしてさ……ねぇ姫君?」
「ん?」
「擲果を受け取って、その思いを受け入れる場合に、男が贈り物を返すのは本当のことなんだよ」
自分がつけている装飾品を贈るんだ、と笑うヒノエの視線は望美の鞄へと向けられている。
偶然の所作ではあるが、蜜柑を――果実を投げて寄越した望美に、ヒノエが『お礼だよ』と言って渡した革細工は、ヒノエがずっとベルトにつけていたタッセル。それは今、キーホルダーに加工して望美の鞄へ下げられていた。
「身につけている品と言っても、大体は宝玉の類を贈る事が多いそうなんだけどね。でもあまり大袈裟なものを渡すと、お前は受け取ってくれないだろうと思ってさ」
ヒノエが身に着けている装飾品ならば、耳飾りだってよかったはずだ。しかし小さいながらも貴石を埋め込んだそれでは、望美が恐縮するのは間違いないし、何か他意があるのではないかと勘ぐられても仕方ない。
あの時のヒノエは、ただの自己満足――それでなければ近い未来への憧憬として、望美と擲果の真似事がしたかったのだ。だから訝しみながらも受け取ってくれそうなタッセルを選んだ。
「それはそうだよ」
ヒノエの軽口に、望美は真面目な顔で返す。
「京に居た頃からヒノエくんってば物凄く高そうなものとか、珍しいものだとか、色々持ってきてくれたよね。嬉しいのは本当なんだけど、でも申し訳ないとも思ってしまうんだよ」
「お前はそういう女だよね。金銀財宝を喜ぶ女たちの方が世の中には圧倒的に多いのに――お前がねだることと言えば、怪我をするな、無理をするな、ちゃんと睡眠をとれ。そんなオレを気遣う言葉ばかり」
「そんなこと――」
「あるだろ?」
口篭った望美の目を覗き込み、ヒノエは軽やかに笑う。
「心配されるのは嬉しいよ。お前がオレを思ってくれる証だしね。でもたまには姫君の我侭を聞いて見たいわけだよ『彼氏』としてはね。精々ねだられて『この日は一緒に過ごしたいから、出来れば来てくれると嬉しいな』とか、そんな最終決断はオレに委ねるような、遠慮しつつな願い事くらい」
例えば今日みたいなね、と片目を瞑る。それですら、半ばヒノエが無理やりに聞きだしたようなものだ。気まずげに視線を逸らす望美のこめかみへ、さり気ない仕草で唇を寄せ、くすくすと笑いを零す。
「ま、男の甲斐性は見せ甲斐がないけれど、そんなお前からどれだけおねだりを引き出せるか、頑張ってみるのは結構楽しかったよ」
「ヒノエくんってば、なんでも『楽しい』に変えちゃえるんだね」
「ん? 当然だろ。望美と過ごす時間はなにものにも代え難く、かつ心地よく幸せなものだからね。……って、話が大分ずれたな」
軽く首を振り、ヒノエはやや表情を改める。
「本当は擲果の話はどうでもいいんだよ。いや、繋がると言えば繋がるんだけど――女の子に言わせっぱなしじゃ格好つかないからさ、きちんとオレから言わせてくれないか」
足を止め、それにつられて振り返った望美の肩へ両手を乗せる。
繋がるというのは何事だ、と問いかけて、望美はかつて弁慶に言われた言葉を思い出す。
(――古代の唐の求婚の儀式)
はっとしたように、望美は眼前に佇むヒノエの端整な顔を見上げた。柔らかく潮風に揺れる燃える様な赤髪の下で、紅玉の瞳が陽光を反射して美しく煌めいている。吸い寄せられるように真っ直ぐその目を見返せば、視線が絡まりあうのを待っていたかのようにヒノエが口を開いた。
「望美。オレの――藤原湛増の、ただ一人の妻になって欲しい。熊野へ一緒に来てくれないか」
普段の余裕綽々な、どこか自身の滲む声とは違う。真摯な思いを色濃く湛える瞳から目を離せぬまま、望美は緩やかに口元へ笑みを浮かべた。
「はい、喜んで」
声と共に、大きく頷く事で諾意を伝える。
返答は分かっていても、やはり緊張するのだろう。望美の返答を得た後、ヒノエは深々と息を吐き出す。そして肩に添えていた手で、素早く望美を抱きしめた。
「ねぇ望美。今だから告白するよ」
抱きしめる動きに応じて背に回される手の動きに目を細めながら、ヒノエは囁くように声を落とす。
「オレは以前、お前が時空跳躍してきた日に偶然居合わせた事があるんだ」
「――えっ?」
「今だから分かる事なんだけどな」
腕の中で身じろぐ肢体を見下ろしつつ、ヒノエは今となっては遠い春の日を思い起こす。
まるで彼女は、花から生まれたようだった。
ひと時の休息を、樹上から桜花を愛でて過ごしていたあの日。ふと気付けば、はらはらと舞い落ちる桜花の雨の中、一人の少女が佇んでいた。陣羽織のような上着と、丈短かな衣。潔いまでに曝け出された足。腰に佩いた剣は使いこまれたもので、その腕前はほど無く知る羽目になった。
「何かの決意の証だったのかな。一太刀、二太刀、花断ちを披露して去ったお前を、オレは呆然と見送ったものさ」
「全然……気付かなかった」
「そりゃそうさ」
呆然と応じる望美に、ヒノエは軽い口調で返す。
「オレだって必死で気配を殺していたんだよ。当時はお前が何者かわからなかったわけだしね。その後、六波羅でその時の女が白龍の神子だったって知って、運命って本当にあるんだな、と思ったもんだけど――」
出会った時から惹かれていた、などと言うのは簡単だ。だがヒノエはそれに否を突きつける。
「正直、最初は単に戦の機運を左右する存在としてしか見て居なかったよ。だから随分と酷い言葉も吐いた。……覚えてるかな。随分前の話だけど、望美が自分の事を『不完全な神子だ』って言った事があっただろ?」
ほろ苦いものを含ませながら、ヒノエは問いかけた。小さく頷く望美の身体も、ほんの少し強張っている。
春に源氏軍に加わったばかりな筈の白龍の神子。なのに、あまりにも知りすぎている彼女を疑い、ヒノエらしからぬ強い言葉で彼女を問い詰めた事があった。
『神の恩寵を受ける身は、どんな先見の力を持っているというのかな。この戦いの行く末? それともオレたちの運命?』
そんな問いを口にしたヒノエへ、望美が答えたのが『不完全な神子』という言葉だった。
「ほんの少し世界の力を借り、怨霊を封じることが許されただけ。その封印の力ですら、黒龍の神子がいなければ使えない不完全な神子だ――確か、そんな風に姫君は言ったよね。確かに白龍と黒龍、二人の神子が揃ってこそ『龍神の神子』なのかもしれない。だけどお前には封印、朔ちゃんには鎮魂。それぞれに役目は分かれていて、何がないから不十分なんて事は無かったはずだよな。ねぇ、誰がお前を不完全だなんて決め付けるんだい? 白龍? 八葉? まさか朔ちゃん? いいや、誰もそんな事は言いやしない。ただお前が、そう思い込んでいただけ」
一旦言葉を切り、腕の中でじっと身動きすらしない少女の肩を柔らかく撫でる。何度も何度も撫で、その強張りがほんの少し解けた事を感じとってから、再びヒノエは思いを紡ぐ。
「白龍の逆鱗を手にしたお前だけが道を選べた。選ぶしかなかった。でも進んだ道が正解なのかは最後まで解らない。その不安がお前を苛んでいたんだろうね。自分がこうしていたら、この時に違う道を選んでいれば……そんな風に己を追い詰めてしまっていたのではないかい? 勿論、これはただの推測であって、どれだけの重みにお前が耐えていたのかは、オレには解らない。同じ逆鱗を持ってはいても、オレはただ単純に時空を『越える』だけ。お前のように同じ歴史を繰り返したわけではない」
だけど、とヒノエは言葉を強くする。
「オレたちは神様なんかじゃない。万能な、完璧な人間なんて居やしない。何かが、どこかが欠けているからこそ、努力だったり憧れだったり、もしくは願いや祈りといったものが生まれるんだと、オレは思う」
そっと腕を解き、真正面から望美の顔を覗き込む。
僅かに潤む翡翠の瞳に口づけると、ヒノエは莞爾と笑った。
「オレの欠けた部分を満たせるのは、望月の姫君――お前しかいないんだ。オレは望美と、互いに足りない部分を補い合い、支えあいながら生きて行きたい。そうやって、オレの傍で一生を共に過ごしてくれないか?」
緩やかに響く声は、望美の心の奥底にしまいこまれていた思いを静かに溶かして行く。包み込む腕のように強く温かな感情に、ひたひたと浸食されていくのを感じる。
あの運命の夜、京を埋め尽くした劫火は消える事がなかった。それはまるで熾火のように望美の記憶からずっと消えることなく、じわじわと胸を焼き続けた。だが心が焦土と化す前に、ヒノエを守護する朱雀がもたらす浄化の炎で上書きされた。
「うん……うん、一緒にいる。ずっとずっと、ヒノエくんの傍にいるよ」
――もう京は燃えてなどいない。
桜舞い散る神泉苑。何度も通い詰めた鞍馬。優しい香りに満たされていた京邸。一気に様々な光景が望美の脳裏を駆け巡る。目も眩む様な情景に、望美は身体の力を抜き、僅かにヒノエへ凭れかかる。出会った時よりも一回り逞しくなった印象のある胸元へ頬を寄せれば、ふわりと懐かしい匂いが鼻腔に届く。鎌倉のものよりも濃密で緑の香りに満ちているような潮の香りは、きっとヒノエに染み付いているのだろう。
すん、と小さく鼻を鳴らし、更に強く顔を押し付ける。目を伏せる動きにつれて、はらりと睫の先から銀の雫が零れ落ちた。それはやがて雨だれのように、静かにヒノエの服を濡らし始める。
「姫君……泣いてるのかい?」
「うん。でも嬉しいの」
「そうかい。なら満足するまで泣くといいよ」
紫苑の髪をさらりと梳くように撫でた後、後頭部に手を添え、望美の頭を更に深く抱き寄せる。
「お前の涙の海に溺れるなら本望さ」
「……ヒノエくんったら」
涙声ながらも笑いを零した望美は、指先で目尻に残った涙を拭うと、その手をヒノエの肩にかけ、軽く背伸びする。ちゅっ、と可愛らしい音をたてて口づけると、不意打ちを喰らったヒノエが目を丸くして見下ろしてきた。
「泳ぎが達者なヒノエくんなら大丈夫だと思うけど、本当に溺れて――いきなり未亡人になんかしないでよね?」
「ははっ、そう来たか。安心しなよ、やっとお前を手に入れたばかりなんだぜ。楽しい人生はこれからだっていうのに、そんな無様な真似はしないよ」
言うと同時に、勢いよく望美を抱き上げる。驚く望美へ無邪気なまでの笑みを向けると、そのままくるりと一回転する。
「きゃ……っ! ちょ、ちょっとヒノエくんっ、危ないから!」
「平気だって」
悲鳴に平然と応じつつも、ヒノエは丁寧な所作で再び望美を地面に降ろす。
「び、びっくりした……」
「熊野に来たら、もっともっとお前をびっくりさせてやるよ」
明るく笑い、ヒノエはさっきのお返しとばかりに望美へ覆い被さるようにして口づける。じゃれあうような仕草から、次第に深い動きへと。次第に傾きつつある日差しの中で、二人の影が一つになって長く伸びて行く。
「お前に見せたいものが、沢山あるんだ」
綺麗なもの、美しいもの。
そして、それだけではない様々なもの。
熊野別当の妻としてやってくる以上、幾許かは政に触れる機会があるだろう。統治は理想論だけでは終わらない。その事をヒノエは知っていたが、もしかしたら一年前のヒノエだったら、そんな後ろ暗い部分は望美に隠そうとしただろう。
だけど今は違う。清濁あわせ、どんな事も分け合って行きたいのだと、ヒノエは己の唯一つの運命と決めたひとを抱きしめながら囁くのだった。
- END -
||| あとがき |||
ヒノエ誕生日SS最後は、迷宮話。これは絶対最後にしよう、と最初から決めていました。いや書いたの4/5の夜からですけど(…)。
ぐるっと頭に戻って、4/1に書いた迷宮ED後の話でさっぱりと飛ばしたヒノエのプロポーズ再挑戦のお話です。やっぱりきちんとヒノエからも言わないとね!

