微睡

2010.04.04
別当生誕祝い・迷宮1章ヒノエイベント後捏造

- ヒノエ×望美


 隣から聞こえた小さなくしゃみに、ヒノエは閉じていた目を開く。
「姫君? 寒いのかい?」
「やだ、ごめんね、起こしちゃった?」
「そんなのどうでもいいよ」
 未だに腹の上に寝そべったままの猫を片手で支えつつ、ヒノエは身を起こす。
 冬晴れの公園で、彼らはのんびりと午後の一時を過ごしていた。海上を吹く冷たい風に慣れているヒノエは、この程度の外気温は『まだまだ温かいね』と余裕で嘯ける程度だが、身体を冷やしやすい女の子には辛かっただろうか、と内心で反省する。望美にかけていた己の上着を、更にしっかりと彼女の足元をくるむようにかけ直しつつ、ちらりと時計に視線を投げる。
「風邪でもひいたら大変だし、そろそろ帰るかい?」
「えっ、もう?」
 帰宅を問う声に返って来たのは、あまりにも意外な言葉で、ヒノエは思わず瞠目する。その表情で、初めて自分が何を口走ったか気付いた望美が慌てて口元を押さえるが、言ってしまった言葉を取り消すことなど出来はしない。
 涙目までは行かないものの、微妙な羞恥で潤んだ視線を向けられ、ヒノエは跳ね上がりそうになる鼓動を押さえつけながら、紳士的な笑顔を浮かべた。
「姫君の体調と時間が許すなら、オレはもう少しここで二人きりの逢瀬を楽しみたいけれど――そうだね。それじゃあ、こうしようか」
 人間たちの会話など意に介さず、穏やかな寝息を立て続けている猫を持ち上げ、ひょいと望美の腕に渡す。
「はい、これ持って」
「これって……ええっ?」
 驚きつつも、猫を落とすわけには行かない。慌ててしっかりと両腕で胸元に抱えると、猫は僅かに鳴き声を上げたものの、彼女の腕からは逃げようとせず、その小さな頭を胸元に凭れかけるようにして再び寝てしまう。
 人懐こい仕草に、望美はほぅ……と息を吐き出した。
「大人しいねぇ」
「野良猫じゃないのかもしれないね」
 ヒノエは望美の胸に抱かれた猫の頭を指先で撫でる。毛艶も良く、無闇やたらと牙をむく様子もないので、人に可愛がられる事に慣れているのかもしれない。
「そっか。犬と違って猫は外に出ちゃったりするから、飼い猫の可能性もあるね」
 基本的に小さな生き物の体温は高い。柔らかく温かなぬくもりを見下ろして目を細めていると、頭上から悪戯っぽい声が降ってきた。
「それで、望美はこっち」
 声と同時に、ぐらりと視界が回る。
「へ?」
 間抜けた声を上げた視界に入るのは青い空。そして背中には地面の感触。更に肩を引き寄せられ、ごろんと視界が横に回ると、目の前にはヒノエの満面の笑顔があった。
 寝転がった状態で、ぎゅうっと――しかし二人の間にいる猫が潰されない程度の力で抱擁され、望美は目を白黒させてヒノエの名を呼んだ。
「ヒ……ヒノエくん!?」
「これなら寒くないだろ?」
 服の袖に引っかかったのだろう。望美の長い髪を指先で捌きつつ、ヒノエは片目を瞑ってみせた。
「そ、それは温かいけど……!」
「大丈夫、何もしないよ」
 腕枕をするような態勢へと望美の頭の位置を直しつつ、ヒノエ自身は仰向けに姿勢を直した。
 端整な横顔を戸惑いの視線で眺める望美は、首筋と、そして肩口に感じるヒノエの熱に体温が上がって行くのを感じる。
「オレもこの方が温かいし、暫く我慢してくれないかい?」
 ヒノエのねだる口調に、望美は黙って頷いた。
 声をだしたらみっともなくもひっくり返った音になりそうで、頬の赤らみを抑えるためにも、頷いた仕草そのままに顔を伏せる。胸元に俯かれた顔の動きで望美の諾意を知り、ヒノエは涼やかに笑った。
「ありがとう、神子姫様。それじゃもう少しだけゆっくりしよう。携帯で目覚ましもかけてあるから寝過ごす事はないから大丈夫だよ。……おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
 ようやく鼓動も落ち着いた望美は、囁くように応じてから目を閉じる。
 夜中の様に閉ざした瞼の向こうは真っ暗にはならず、薄く明るい光が透けて見えている。赤みが強く感じるのは、眼前にあるヒノエの服のせいだろうか、などと考えてしまう。
 宣言通りにヒノエの腕は抱き寄せる以上の動きは全く見せず、時折ごく軽く、指先が望美の肩をやわやわと叩く。まるで早く眠りなよ、とあやすような仕草だ――と、まどろみの中で望美は思う。
(甘えてばかりだなぁ、私)
 猫を抱く腕に僅かに力が篭る。
 抱きしめられ、嬉しいとも嫌だとも言えない中途半端な自分へヒノエが示してくれた『我侭を許容する』という回答。ヒノエがねだるから仕方ない、という逃げ道を用意してくれた彼の気遣いに、望美はなんとも言えない思いを味わうのだ。
(この腕の中は安心出来るんだけど……)
 仲間への信頼なのか、それとも恋ゆえなのか、それが望美には分からない。そもそも「何を以て恋」とするかが分からないのだ。
 八葉の中で唯一、同い年であるからこその気安さがあるのは確かだ。同年と言うならば将臣だってそうなのだが、いまの彼は時空跳躍の影響で三つ年上となってしまっている。その差は外見だけではなく、将臣の言動にも色濃く表れている。幼馴染だった彼が一足飛びに「大人」となってしまった戸惑いは、この鎌倉に戻って以降、より一層強く感じる。
 将臣との距離感に迷いを感じる分、ヒノエとの関係に傾倒しているのかもしれない。
(ヒノエくんは……優しすぎるよね)
 きわどい触れ合いを仕掛けてくる事も多々あるが、基本的にヒノエは優しい。望美が本気で嫌がる事は決してしない。
 勿論、迷っている事に対してYESと言わせるよう仕向けてくる口の巧さもあるが、見事なまでに攻め時と引き際を心得ている男だ。
 甘やかされている自覚はある。
 それでも、その優しい毒が心地よすぎるのだ。
(逃げちゃ駄目だって、分かっているのに)
 迷宮の謎を始めとして、解決しなければいけない事が山積みだというのに、本当はこんな風にまどろんでいる時間など、許されない筈なのに。
「もう少しだけ……」
 ぽろりと思索の淵から言葉が零れ落ちる。
「……何か言ったかい、望美」
 柔らかな声が耳元に届く。同時に髪を梳くように撫でられて、望美は戸惑いつつ顔を上げる。
「起こしちゃった?」
「いや。目を閉じてただけから」
 大丈夫だよ、と笑う気配が肩に伝わる。
「どうした、怖い夢でも見たのかい?」
「ううん、そんなことはないよ」
「そう? ならいいけど」
 あっさりと引き下がったヒノエは、それでも何かを感じ取ったのか、望美の肩を抱き寄せていた腕にぐいっと力を込める。そのまま強く引き寄せると、望美の身体は半ばヒノエの上半身に乗り上げるような形になる。
「きゃ…っ!?」
 驚く望美の声と、彼女に抱きつぶされる形になった猫が、一声鳴いて二人の間から逃げていく。
「ッ、痛……猫とは言え、思い切り踏まれると案外痛いもんだな」
 思い切り腹を踏みつけられたヒノエは、僅かに眉を顰めて見せるが、猫が逃げたことで邪魔ものはいなくなったとばかりに、本格的に望美の身体を捉えにかかる。両腕でしっかりと抱え直し、彼女の髪へ顔を埋める。
「ヒ、ヒノエくん! これは流石に恥ずかしいから離して!」
「だーめ」
「何もしないって言ったのに!」
「してないじゃん。ちょっと位置を変えただけだろ」
「~~~っ、そういうの詭弁って言うんだよ!」
 耳元で唸る声にも、ヒノエは飄々とした表情を崩さない。それどころか、逃げ出そうとする望美を易々と封じ込めつつ、甘い脅迫の言葉まで紡ぎ出すのだ。
「暴れると、もっとぎゅーっと抱きしめるよ?」
 どんな脅しよそれ、と思いながらも、今でさえ十分なほど懐深く抱き寄せられて心臓が止まりそうなのに、これ以上されたら本当に呼吸困難で死んでしまう――と、望美は身体の力を抜いた。
 しかし半分以上己の体重がかかっているような状態に、とにかく落ち着かない。
「お、重くない?」
「全然」
「でも猫で痛いって言ってたのに、私なんか何十倍あるんだか」
「平気だって」
「だけど……」
「ああ、もう。姫君、しつこいよ?」
 言葉だけとれば荒っぽいが、その声音は蕩けるように甘く優しい。そんな音を紡ぎながら望美の顎を掴み、ヒノエは自分の方へ引き寄せる。
「それ以上なにか言ったら、その口、塞ぐから」
「え? 塞ぐって、なにを」
 言われた事が咄嗟に理解出来なかった望美は、ぽかんとした表情で鸚鵡返しに問いかける。
「こういう事」
 すました声と同時に、ヒノエの顔が迫ってくる。急速にぼやける視界にぱちりと瞬いた瞬間、唇が触れ合った。感触を確かめるような短い口づけの後、もう一度、角度を変えて重ねられる。
「――分かった?」
 吐息がかかる距離で囁かれ、望美はこくこくと首を縦に振った。
「まぁ望美が色々反論してくれても、それはそれで、オレは楽しいんだけど」
 何故? と目で訴える望美に、ヒノエは艶やかな瞳を細めながら答える。
「ほら……これ以上何か言ったら口を塞ぐ、って宣言したわけだし」
 ちょん、と指先で望美の唇を抑えると、何を示して『楽しい』と称したのかを理解したらしく、望美の目尻がヒノエの髪の色を映したかのように紅色に染まる。
「本当に姫君は可愛いなぁ」
 くるくると変わる表情を愛しげに眺めながら、ヒノエは笑う。
 滴るように甘い響きに更に頬を染めつつ、望美はふるりと首を振った。
「そんなことないよ」
「いいや、可愛いよ。良く変わる表情も、明るい声も、それに……ちょっと迂闊なところも、ね」
「え?」
 ちゅっ、と小さな音を響かせてヒノエの唇が望美の疑問を覆い隠す。
「………」
 掌で口元を覆い隠しつつ睨みつける姿も、男の腕の中では些か迫力にかける。むしろ相手を煽るものにしかならないね、とヒノエは内心で苦笑を噛み殺す。
 望美の様々な表情を堪能したヒノエは、陽が落ちる前の残された時間を脳内で計算し、そろそろ終わりにするべきかな、と判断する。柔らかな唇はいつまでも味わっていたい所だが、一息に攻めすぎて怯えられでもしたらまずい。帰り道も甘い雰囲気を保ったまま戻りたいと――他の八葉に見せつけるためにも、その空気を維持し続けたいヒノエは、望美の口元を覆う手の甲に誓うように触れて笑った。
「分かったよ、もうこれ以上はしない。約束する」
 そおっと手を離し、ホント? と口パクだけで問いかける少女に、ヒノエは湧き上がる笑いを抑え、生真面目な表情を作って頷いてみせる。
「約束するよ。これ以上続けて、姫君に口を聞いて貰えなくなったら困るしね」
 その言葉の語尾に、軽やかな電子音が重なる。
「おっと、本当に時間切れみたいだ」
 ポケットから携帯電話を取りだしたヒノエは、目覚ましのタイマーを手早い操作で止める。
「途中で軽くお茶でもして帰ろうか。駅前のカフェのケーキが美味しそうだったよ」
「えっ、見てない」
「それは勿体ないな。季節限定のケーキって書いてあったよ。材料はオレにはよく分からないけれど、飾り付けが繊細な感じで姫君が好きそうだなって思ったんだ」
 素早く立ち上がり、片手を望美に差し出しつつヒノエは告げる。その手に掴まって立ち上がりながら、望美の目がきらきらと輝く。
「ヒノエくんが言うなら期待大だね」
「当然。お前の好みは熟知してるつもりだからさ」
 自信たっぷりに応じる声に、望美は花開くように笑い返す。
「それじゃあハズレたらヒノエくんのおごりだよ」
「ふふっ、外れる事などないと思うけど――どっちにしろ、姫君に甘い時間を捧げるのは男の務めだからね。ご馳走するよ」
「えっ、そんなの悪いよ!」
 自分の分は自分でちゃんと払うよ、と言いかけた望美の手をヒノエが握り直す。絡めてくる指の強さに、反射的に望美が口を噤む。
「男へそういう話をするのは野暮ってもんだぜ、姫君。でも、そうだね。もしどうしても気になるっていうなら、別の日に、一緒に出かけてコーヒーでもご馳走してくれるかい?」
 どう? と覗きこむ視線に、望美はほんの僅か考え込んだ後、こくんと首肯した。
「ヒノエくんがそれでいいのなら」
「勿論! それで決まりな」
 さりげなく次の約束を手に入れたヒノエは、満足げに目を細め、繋いだ手を柔らかな所作で引く。
「それじゃ、行こうか」
 ヒノエの促す声を皮切りに、二人は駅までの道を並んで歩き始める。
(ねぇ望美。お前の事うかつな姫君、なんて言ったけど本当はそんな風になんて思ってないよ)
 天候や最近読んだ本など、何気ない会話を続けながら内心で呟く。
 無邪気なまでに疑う事を知らないお前。それは寄せられる信頼の証だと分かっているけれど。
(八葉の一人だからじゃなくて『オレだからこそ』って、いつかお前に言わせたいんだよね)
 一番好きでは満足なんかできない。
 姫君の心に咲く、唯一の愛を勝ち取るための努力は惜しまない――ヒノエは誓いを新たにするのだった。

- END -

 

||| あとがき |||

微睡はまどろみ、と読むらしいです。厳密には「微睡む」と使うッポイので、送り仮名に「み」が要りそうですが、語感の都合で省略!
以前同人誌の方で「午睡」という、同じイベントをモチーフにした話を書いているので(※ただし弁望ですが)、タイトルだけ対っぽくしてみました。

てなわけで、迷宮本編内より、1章のヒノエイベントをモチーフに書かせて頂きました。厳密にはイベントスチルの後、になるのかなー。あの公園イベントが大好きなので、もう少しらぶらぶ(死語)していて欲しいな! という妄想の発露です。


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