君の傍に

2010.01.10
十六夜ED後、現代鎌倉。blog3000hitキリ番リクエストSS。

- ヒノエ×望美


「ヒノエくん、遅いな」
 呟きながら携帯電話を開く。
 昨日の夕方、熊野から時空を超えて訪れたヒノエとの待ち合わせは、十七時に駅前で、というもの。学校帰りに向かう望美にはほんの少しギリギリな時間設定だから、望美が滑り込みセーフ、またはヒノエを数分待たせるというのが待ち合わせでの恒例行事。だが今日は、既に十分近くが過ぎているのにヒノエが現れない。
「事故とかじゃなければいいんだけど」
 最後に来たメールは、三十分ほど前。授業が終わる時刻を見計らって送られてきたメールには、待ち合わせを楽しみにしているといった内容が、巧みに絵文字を織り交ぜながら綴られていて、遅れることなどひとかけらも書かれていなかった。メールの着信問い合わせをしてみても、返ってくるのは無機質な『新しいメールはありません』の文字。勿論、留守番電話だって確認済みだ。
 メールで所在を問うか、それとも直接電話をかけてしまおうか。でも電車に乗っていたりしたら着信は迷惑だろうし、等と思い悩む望美の視界に、ちらりと何か赤いものが掠めたように見えた。
(あっ)
 しかし、顔をあげた先にあったのは、残念ながらヒノエの姿ではなかった。真っ赤な野球帽を被った青年が通り過ぎていくのを溜息を噛み殺しながら見送る。その落ち込んだ色を宿す翡翠の瞳が、大きく見開かれたのは次の瞬間だった。
「え……?」
 斜向かいにある小さな店。確かアクセサリー類を扱う店だと思ったそこのドアを開けて、一組の男女が現れた。その男性の方が、ヒノエだった。
 肩に大きな荷物をかけている彼女が店を出るまで、ドアをさり気なく支えてやり、それから並んで歩き出す。店から少しだけ離れた路上で立ち止まった二人は、向かい合って何事かを話し始めた。姿は見えても、この距離で声は聞こえない。例えば弁慶などだったら、唇の動きをみて会話を知る――なんて事も出来そうだが、生憎と戦の世を戦い抜いた望美でも、そんな特技までは身につかなかった。
 ヒノエが女性に人気がある事は、他ならぬ望美自身が最もよく知っている。
 京や熊野では、数多の美人が彼の気を引こうと妍を競っていた。こちらの世界でも、その華やかで端整な容貌は通り過ぎる人々の注目を集めて引き離さない。ちょっとした買い物や、化粧室に行くなどして傍を離れた望美が戻ってくると、いつの間にかヒノエが女性に囲まれている……なんていうことは既に片手の指では足りない数だ。
 その度にこっそり嫉妬して――すぐにヒノエに気付かれて愛の言葉を囁かれるという事を繰り返している。成長のない行動が自分でも情けない望美だが、かといって簡単に止められるわけでもないのだ。
(こんなに見てたら、ヒノエくんに気付かれる)
 目を逸らす事が出来ない。見ても見なくても胸の奥が痛いのなら、少しでも好きな人の姿をその目に写し取る方がマシかもしれない。そう思いながら制服のスカートを握り締め、望美は無言でヒノエと少女の姿を見つめていた。
(でも、気付いて欲しい)
 ――その子を、見ないで。
 ――私を、見つけて。
 やがて女の子は何か小さな袋のようなものをヒノエに渡し、何度も頭を下げてから走り去った。その背を見送ったヒノエは、何かを感じ取ったのかくるりと首を巡らせた。鮮やかな緋色の瞳が真っ直ぐに望美の姿を捉える。
「望美」
 聞こえないはずの言葉が、唇が、はっきりと望美の名を刻んだのが分かった。耳に届く音ではなく、記憶の中で再生された声はどこまでも甘く響き、望美の足をその場に縛り付ける。一方ヒノエは横断歩道を探すのももどかしいのか、身軽に道路フェンスを飛び越え、折りよく車の通行が途絶えた道路を駆け抜けてくる。危ない、と目を瞠るまもなく、あっという間にヒノエは望美の眼前に辿りつく。
「ヒノエくん、危ないじゃない!」
 それまでのもやもやした気持ちを消し去ってしまうようなヒノエの大胆すぎる行動に、望美は思わず眉を吊り上げる。
「姫君を目の前にして、遠回りなんかしていられないよ。悪い、大分待たせちまったよな……?」
 首をかしげるようにして顔を覗き込むヒノエを避けるわけではないが、望美は反射的に目を逸らしてしまう。
「遅れるのは、別にいいんだけど……用事だって、あるんだろうし」
 応じる声の硬さに、ヒノエは全てを悟ったように小さく息を吐いた。肩越しに、己が先程までいた方角を振り返りながら言葉を継ぐ。
「見えてた、よな」
 望美が無言で頷くと、ヒノエは『ここじゃなんだから』と言って、望美の手を引いて歩き出した。繋ぐ手のひらに迷いは無く、普段よりも強い力が込められているように望美には感じられた。駅前の雑踏を避けて暫く歩き、小さなベンチのところで立ち止まる。
「ここでいいか」
 落ち葉が乗っていたベンチを軽く手で払ってから、望美に座るように促す。その隣に腰をおろし、更にしっかりと望美の指を絡め取るように手を繋ぎなおしてから、ヒノエは改めて望美に向き直った。
「さてと。どこから話せばいいかな」
「……全部」
 ヒノエの手を握り返し、望美はぽつんと呟いた。
「遅れた理由も、女の子と一緒だった理由も、何か……貰ってたみたいなのも、全部知りたいって言ったら、ヒノエくん呆れる?」
「いいや?」
 目を細め、ヒノエは緩やかに首を左右に振った。
「姫君のお望みのままに、全て答えるよ。まずは何を貰ったか、から答えようか」
 そう言って、ヒノエはジーンズのポケットから小さな包みを取り出した。封もあけていないそれを、握っていた望美の手の上へそっと載せてやる。
「貰ったのはコレ。開けていいよ」
「えっ!? でもヒノエくんが貰ったものなんだから、私が見たら……」
「いいから」
 言葉を遮って促す声に、望美は恐る恐る包みを開く。クラフト紙の小さな袋を開くと、中から現れたのは――。
「これって……革ひも?」
 それは何の変哲もない、細く裂かれた黒いなめし皮だった。先端に宝飾品が付いているわけでもなく、1メートルに満たないくらいの長さに切っただけの、まさに文字通りに『革の紐』だった。
 てっきりヒノエ宛のプレゼントがはいっているものだと思ってた望美は、あまりにもそぐわない物が出てきた事に軽く混乱し、惑いを含んだ視線をヒノエに向ける。
「それから遅れた理由はコレ。革紐を貰った理由でもあるけれどね」
 続いてヒノエが手のひらに乗せて示したのは、鈍い色に光る銀の塊。
「これってヒノエくんの耳飾りだよね」
「そう。擦れ違った子が持っていた荷物――楽器ケース、って言ってたかな。それの金具に引っかかって壊れちゃったんだよね。元々金具が悪くなってたのかもしれないな。熊野では、ずっと潮風に晒されるわけだし」
 千切れてしまった金具部分をヒノエは指先でなぞる。どこか愛しむような仕草に、望美の視線も僅かに緩む。
「海に出るんだもんね」
「陸にいても、勝浦あたりに吹く風は潮気が強いからね。まぁそれで、相手は弁償するって言い張るし、かといって、お前以外の女から貰ったものを身につけるつもりはないし……そうこうしてる内にお前との待ち合わせ時刻が過ぎそうになってさ。結局、折衷案でコレを買ってもらったんだ」
 そう言って、未だに望美が握りしめたままの革ひもをするりと抜きとる。
 耳へつけるための金具が付いていた穴へと革ひもを通し、くるくると器用に結わえ付ける。紐類の扱いに慣れているのは、流石海の男と言ったところか。あっという間に、耳飾りは首飾りへと変化していた。
「こうすれば、望美が持っていてくれるかなって思ったんだけど……どう?」
 つけてくれる? と顔を寄せて囁けば、その頬に一瞬だけ望美の唇が触れた。衆目の中でのスキンシップを恥ずかしがる望美にしては『らしくない』行動に、ヒノエは驚きよりも戸惑いの表情を隠せない。
 面食らったように見返してくる恋人へ、望美は歌うような調子で言葉を向ける。
「ヒノエくんは、よく『望美はオレを喜ばせる天才だ』っていうけど、私からすればヒノエくんこそがそうだよ。私の不安も何もかも、全部消した上に、更に幸せな気分までくれちゃうんだもの」
 頬を薔薇色に染めながら笑う少女にたっぷり数秒間見惚れた後、ヒノエはお返しとばかりに望美の目尻に唇を寄せた。
「お前を幸福にするのは、オレの最大の特権だからね」
 そして望美の首に手製のペンダントをくるりと結びつける。
「紐が長いから、制服の下にもつけられるだろ?」
「え? うん、そうだね」
 胸元で揺れる飾りに触れれば、最初ひやりと冷たかった銀も、すぐに体温に馴染んでいく。細工を触る望美の手ごと持ち上げたヒノエは、望美の爪先ごと羽細工へ口づける。
「それをオレだと思って、その胸にずっと抱いていて欲しいんだけど?」
「……ッ、ヒノエくん」
「傍にいない間も、繋がっていると思わせてよ……」
 低く掠れたねだり声は、最後、望美の唇を覆い隠して途絶えたのだった。

- END -

 

||| あとがき |||

3000のキリ番を踏まれた紗奈さまからのリクエストSSです。
お題は「九郎かヒノエどちらかで、ちょっとしたすれ違い話。望美がヤキモチを焼いて不安になってしまう話。最後は甘めで」という内容。
九郎とヒノエどちらにするか…は白龍の託宣という名目で、阿弥陀籤によって決めさせていただきました。で、その結果、ヒノエ十六夜EDで書く事に。


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