君を、見ていた。

2009.12.01
緑陰の熊野御幸 恋愛要素はやや薄です

- ヒノエ×望美


「港へ行く途中に、素敵な髪飾りのお店があったのよ。一緒に見に行かない?」
 そんな言葉に誘われて、望美は朔と共に熊野の町を歩いていた。
 交易港としても栄える熊野は、京とは一味違った品を並べる店が多い。特に南蛮渡来という品々は、生まれ育った時代を微かに思い起こさせるような物もある。通りすがりの店を冷やかしながら、はしゃいだ会話を二人は続けていた。
「望美、このすぐ先よ」
 朔の指先が示す先を向けば、不意に見覚えのある人影が視界に映る。
「あら? あれはヒノエ殿かしら」
 彼女も気付いたようだ。特徴的な緋色の髪が向かう先を見て、ふと朔が小首を傾げる。
「どうしたの、朔」
「今、ヒノエ殿が入ったお店――そこが私が望美に教えようと思っていたところなのよ」
「そうなの?」
 あまりの偶然に望美は思わず目を丸くし、朔も驚きの表情を浮かべる。だが、すぐに彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて、望美に向き直った。
「ふふ、ちょうどいいわ。折角だからヒノエ殿に見立てて貰いましょう」
「えっ!?」
 つい足が止った望美の手を、朔はぎゅっと握る。
 龍神温泉で『気になる人はいないのか』と問われ、ヒノエの名を挙げたのは十日ほど前の事。とはいえ、それ以降別段とヒノエとの関係について朔が何かを言うこともなかったので、不意打ちともいえる彼女の提案に、望美は本気で動揺を隠せずにいた。
「ヒノエ殿の選ぶ物は派手なものが多いけれど、趣味はとても良いと思うの。私の持っている装飾品は望美には少し地味なものが多いし……ね? 駄目かしら」
 小首をかしげて問われると、嫌だとは言いにくい。望美は逡巡の後に小さく頷いた。朔は優しく微笑んで、望美の手を引いて再び歩き出す。
 掘立小屋の様な店に特に入口というものはない。大きく開いた間口から中を覗いたところで、ぴたりと望美の足が止まった。隣に立つ朔も同様だ。
 二人の視線の先にいるのは、やはりヒノエ本人だった。だが彼の手は、店番の女性の手を恭しく捧げ持ち、その指先へ唇が触れようとするところだった。
 端整な容貌を持ち、町を歩けば乙女たちの視線を一身に集めるヒノエだ。声をかけてくる女性も両手の指では足りないほどの人数で、彼女たちへの挨拶でも美麗な賛辞を紡いでみせる彼だから、こういった事は日常茶飯事なのかもしれない。それでも、想像することと、実際に見ることは全然違うのだと――望美は気付かされた。
 自分へ『オレの姫君』と囁いてみせる彼の唇は、一人だけに捧げられたものではないのだと。
「……っ、い、いらっしゃいませ」
 素早く腕を引き、ヒノエに握られていた手を袖口へと隠した女性は、薄赤い頬のままに来客を迎える言葉を紡ぐ。
「やぁ、姫君たちも細工物を見に来たのかい?」
 悪びれない様子で振り返ったヒノエは、鮮やかな笑みを龍神の神子たちへと投げかけた。
「ここの細工は彼女の父親が作っているものなんだけど、交易の時にも人気の品なんだ。オレもイチオシのお店だよ」
「そのつもりでしたけれど、お邪魔な様ですから失礼するわ」
 ヒノエに勝るとも劣らぬ優雅な微笑みを浮かべて見せた朔は、望美の手を引きながら踵を返した。
「行きましょう、望美」
「あ……、うん」
 ぎゅっと朔の手を握り返し、望美も足早に店の外へと向かった。ヒノエが何事か声をかけたような気がしたが、その声は既に耳に届かなかった。振り返る勇気もなかった。
 朔と繋いだ手の温かさが、零れそうになる涙を堪える強さになっていた。


 宿に戻り一人になってから、少しだけ望美は泣いた。夕餉の時、彼女の目元が赤い事に八葉のほぼ全員が気付いたが、敢えて何も問うことはしなかった。ただ景時が何事か問いたげに朔へ視線を向け、それに応じて彼女が静かに首を左右に振る様を見て、全員が揃って口を噤んだのだった。翌日に何か急務でやらなければいけない事があるのならばともかく、今は時間にも余裕がある。理由を触れられたくない涙ならば、黙って見守ってやれるだけの余裕がいまの彼らにはあった。
 そんな八葉たちの気遣いに守られた夜更け、望美は秘かに起き出して庭へ足を向けた。同室で眠る朔を起こさないように息を殺し、足音を忍ばせながら外へ向かう。
 三日月よりも細い、まるで一本の線の如き姿の月光だけに照らされた庭は薄暗く、望美は自然と足元だけを見て歩く。だから、別の足音が彼女を追っていることに気づくのが遅れた。
「――姫君」
 夜気を震わす囁きと共に、肩にふわりと何かが触れた。
「夏とは言え、夜は冷えるよ」
「ヒノエくん」
 振り向くと、赤髪の青年が目を細めるようにして彼女を見下ろしていた。
「深夜とはいえ、そんな薄着で歩くのは些か不用心だね」
 肩にかけた布を胸元へ寄せてくれる手つきは優しく、その仕草で己が単衣一枚きりで歩いていた事を思い出す。望美の感覚としては『旅館の浴衣』気分なのだが、この時代では下着とほぼ同義。思わず望美の頬が赤く染まる。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして? もう少し明るければ、神子姫様の艶姿もはっきり見えるんだろうけど、ウッカリ他の奴らの目に留まったら勿体ないからね」
 しっかり隠しておいて、と笑いながら片目を瞑ってみせる彼の笑顔に、更に望美は羞恥を感じてしまう。
「ごめんなさい。後でこれ、返すね」
 柔らかく肩を包む布は優しいぬくもりを伝えてくる。その温かさからも、指先で感じる手触りのよさからも、高級品である事がわかる。
「いや、構わないよ。元々姫君へ捧げようと思って買ったものだから」
「え?」
 慌てて見下ろせば、確かに男性の身につけるようなものではない。微かな月明かりでも、鮮やかに紅色や紫色で染め抜かれた花模様が見て取れた。
「――夕刻に、お前が泣いていたって聞いた」
 僅かに目を伏せながら、ヒノエは言葉を落とした。
「出かける前は上機嫌だったのに、戻ってきたら部屋に閉じこもって、ようやく出てきたと思えば泣きはらしたような目をしているって」
「……」
 無言で望美は視線を逸らす。その様子をじっと見つめていたヒノエは、迷った末に彼女の指先を恐る恐る握り締めた。
 手を繋ぐものとは違う。
 指を絡めるのとも異なる。
 触れる許可を問うような仕草は、震えるような熱を望美の指先へ伝えてきた。
「自惚れていいのなら、姫君の涙の理由は――オレだろうか」
 問う形ながらも断じる響きを持つ声に、望美は黙って目を伏せた。無言で俯く様は否定とも肯定ともとれる仕草で、ヒノエは自分の都合がいいように解釈することにした。
 薄布に覆われた肩を引きよせ、細い肢体を腕の中へと閉じ込めながら耳元へ囁く。
「オレが他の女の子に触れるのが、嫌だった?」
 掠れかかる声には十分過ぎるほどの色香が漂い、間近から届く声に、望美は反射的に身を竦めた。
「あれはただの挨拶だよ。一番大事なのは、オレの神子姫様――お前の事なのだから」
 甘い声というよりは甘やかす響きを含む声で、ヒノエは言葉を紡ぐ。
「だから違うなら、せめて涙を零した理由を教えておくれよ。姫君の為に、オレがその悩みを取り払ってあげるから」
 だが望美は、視線を伏せたまま否定の言葉を漏らす。
「……無理だよ」
「え?」
「ヒノエくんには無理。だから離して」
 両腕を突っ張り、ヒノエから身を離そうとする望美の声は固く尖っている。普段とはあまりにも異なる様子に、ヒノエは驚きながらも、拘束する腕の力を更に強めた。それは殆ど反射的な行動で、普段のヒノエならば――女性に対してどこまでも優しい、望美の世界の言葉で言うならばフェミニストである彼ならば、決してしないであろう乱暴なほどの動き。
「何でオレじゃ無理なんだよ!」
 望美の声につられるように僅かに語尾が荒くなり、抱きしめた少女はびくりと肩を揺らして更に深く俯いた。それに気づいたヒノエは、小さく舌打ちをする。
 怖がらせたいわけではない。
 なのに望美の口から生まれた拒絶の言葉が、ヒノエから余裕を一切奪っていた。
「教えろよ、望美。オレの何が駄目なんだ……?」
 顎を捉えて間近に瞳を覗き込む。
「―――…ない」
 吐く息が絡み合う距離で、望美がぽつりと呟く。
「何かと比べての『一番』なんか、いらない」
「比べてって……オレが何時…ッ」
 否定しようとしたヒノエは、はっと息をのんだ。
 そんな彼を見て、望美はうっすらと微笑んだ。だが笑ってはいても、目がそれを裏切っている。翡翠色の視線は、どんな感情を浮かべる事もなく、ただ真っ直ぐにヒノエを見据えていた。
「ヒノエくんは褒め言葉のつもりで『お前が一番』とか言ってくれてるんだよね。……一夫多妻制な事も知ってるし、私の常識の方がこの世界で異端なのも分かってる。だけど、私はダメ。他の人と比べられる、並列の立場は嫌」
 もう一度、望美はヒノエの胸についた腕へ力を込めた。
 今度は抵抗なく離れる身体。
 望んでした動作なのに、分かたれた体温が悲しくて望美の目に薄く涙が滲む。
 細い月が照らす姿は今にも泡沫へと消えそうで、ヒノエは再び腕の中へ閉じ込めようと手を伸ばした。それを一歩下がって避けながら、望美は決定的な問いかけを口にする。
「それにヒノエくんの『本当の一番』は誰でも無くて、熊野でしょ?」
 指先が望美へ届く寸前、ひそりと告げられた言葉に動きが止まった。
「どんな姫君にだって、貴方の一番大事な場所を奪うことは出来ないって知ってる」
 だから無理なの、と少女は繰り返す。
「ヒノエくんが優しいから忘れてたんだ。前に私の世界の御伽噺を聞かせた事があるよね。ヒノエくんって、それに出てくる王子様みたいだった。優しくて、格好よくて、いつでも幸せになれる言葉を言ってくれて――もう少し夢見ていられるかなって思ったけど、もう無理みたい」
 伸ばした指を握り締めたまま微動にもしない彼を見遣り、望美はほんの少しだけ笑って見せた。
「ヒノエくん。君のことだけを、ずっと見ていたよ。大好きだった。――だから、もう」
 その後、彼女が何を続けようとしたのかは分からない。こみ上げるものを抑えるように口元を覆った望美は、突如身を翻して走り去った。その肩から、ふわりと……先ほどヒノエが掛けてやった薄布が落ちる。
 のろのろとした動きでそれを拾い上げたヒノエは、激情の赴くままにそれを握り締めた。ぎり、と爪の痕を刻む布には、まだ仄かにぬくもりが残っていて、それすらも彼の心を波立たせた。
『もう、好きにならない』
 走り去る直前、そんな涙混じりの声が聞こえた気がした。
 別れの言葉ではない。まだ彼らには八葉としての務めがあり、日々顔を合わせる事になる。だがこれ以上ヒノエの言動に心動かされる事は無いと、心の訣別を告げる言葉を彼女はヒノエに投げつけて去った。
「こんなのってあるかよ――!」
 一人きりの庭に低い声が響く。
 彼女へ囁いた愛は、確かに言葉遊びの意味合いが強かったかもしれない。ヒノエにとって花は愛でるもので、どれか一輪にこだわるべきものではなかった。
 移り変わる季節を楽しむように、その時々に艶麗に咲く花を手に取ってきた。盛りを過ぎ枯れた花や、別の蝶を望んで去り行く花は引きとめることなく黙って見送ればいい。その頃には別の花が彼に攫われるのを待っている。白龍の神子でさえ、例外ではなかったはずだった。
 なのに、どうしてこんなに胸が痛い。
 心の奥にぽっかりと穴が開いたようだ。
「オレってもしかしたら馬鹿なのかもな」
 無くして初めて知る、喪失の痛み。空虚な胸へ押し寄せる叫びを歯を食いしばるようにして堪えたヒノエは、残り香の消えゆく薄布へと唇を寄せる。
 突きつけられた拒絶の言葉は、逆に彼の心を望美に縛り付ける事になった。二度と出る事の叶わない、深い淵へ落ちた自覚がヒノエにはあった。
「確かに熊野はオレの全て。だけど――その熊野ごと、お前を手に入れてみせる」
(そして、お前を二度と泣かせない)
 誓願するかのように目を閉じると、染め抜かれた花びらへ唇を寄せた。

- END -

 

||| あとがき |||

これはmemoの方に、思いついた話をだらだらと書きつづっているのですが、そこに載せていたものを纏めなおしたお話です。ここで終わると流石にヒノエがかわいそうなので(笑)そのうち続きを書いてあげたいところです。
一応ポイントとしては「もう、好きにならない」であって「嫌い」ではないところ。ここ、試験に出ます(※嘘です)。


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