緋の烙印

2009.11.05
熊野 ヒノエが仲間になって間もない頃

- ヒノエ×望美


 その日オレは、烏からの報告を受けた後、いつもの場所で昼寝を決め込んでいた。
 少々急な斜面を登りきった先にちょっとばかし開けた場所がある。そこにある大木の枝上が、オレの指定席。太く張り出した枝は安定感もよく、格好の昼寝場所なのだ。
 オレが勝浦にいる限り、九郎たちの希望――熊野別当との面談は叶わないと分かっているから、特にあせって彼らの動向を探る必要もない。むしろ必要なのは、鎌倉にいる頼朝と、西へ逃れた平家の動き。法王は――まぁあれは時流の大きい方へつくに違いないから、ひとまず置いておく。
 無論、放置して言い訳ではないけれど、この間ちらりと顔を見た限りでは、源氏とも平家とも決めかねている様子だったからね。熊野が決断を下すまでは、恐らく中立を保つだろう。
 そして、後もうひとつ。オレが最優先で気にかけているヒトがいる。
「……」
 さくり、と草を踏む足音が届き、オレは息をひそめて気配を断つ。
「っ…はぁ、やっと平らな所に出た!!」
 息を弾ませながら急な斜面を登って来たのは、まさにオレが今、脳裏に浮かべていた人物だった。
 供もなく、一人きりでふらふら熊野を歩いているのは知っていたが、まさかこんな場所まで来るとは。
(って言ってもここは宿の裏だし、来てもおかしくはないかな)
 オレは苦笑を噛み殺すと、身体の力を抜き、彼女の様子を見守る。
 無論、気配はまだ隠したままだ。だって、じっくりと観察したいだろう?
 源氏一行に宿として薦めた場所は、実は藤原家――ウチの元・別宅である。
 かつては勝浦へ来た時に別当が滞在するための場所として用意していた邸だが、大仰なことを好かないオレは、代替わりと同時に、そこを宿屋にしてしまった。建物は使わずにいると古くなるから、というのは建前で、単に一つ所に居つくと周囲が煩くて面倒くさい、というのが本音。
 それにどうせ、別宅で夜を過ごすことなど殆どないのだからね。
 仕事に必要な書類を置いておける場所、そして急に必要になった時に着るための正装を置いておけさせすれば、特に問題はない。だからオレは宿の一室を常にオレのために用意させるだけに留め、あとは邸を預かる男の裁量に任せることにしたのだ。泊まる人をかなり選んでいるにも関わらず、『元・別当家の別宅』という肩書が功を奏してか、人気は上々。経営も順調で、最初文句を言っていた人々も、今では「流石別当殿の慧眼よ」などといって追従しているのだから、笑っちゃうよな。
(とはいえ、あの当時はこんな風に役立つとは思わなかったけどね)
 こんな風に、とは八葉の面々を滞在させる場所として、という意味だ。
 熊野は中立を保っている。
 だからこそ平氏も源氏も、そしてそれ以外の勢力――西の水軍、奥州の人々、そして外つ国からの貿易船など、様々な人が集まってくるのだ。
 この微妙な均衡を保つ熊野に、将軍級の人物が来ることは滅多にない。違う、本来『あってはならない』のだ。それが分かった途端、勢力の配置は崩れ、熊野が嵐の渦中になりかねない。
 源氏の大将である九郎は――火種だ。
(平家も還内府が来ているっていう話だしな)
 源氏と平氏が相まみえるようなことがあってはいけない。平家の動きがまだ掴み切れていない以上、こちらで押さえるべきは源氏の手勢。
 弁慶が――あの厭味なほどに聡い男がついている以上、迂闊なことにはならないと思ってはいるけれど、野放しにするよりも、手元に抑えておいたほうがいいのは確か。
(そういう意味では、コイツも役に立ってると言えるのかな)
 オレは額に刻まれた、不可視の印へと指をあてた。
 他のものには見えない、赤い宝玉。
 名も身分も明かさず、それでいて熊野に顔の利く怪しい男――と、九郎を始めとする、八葉の面々は思っているだろう。それでも信頼を寄せてくれているのは、ひとえに八葉の証をオレが有しているから。そして「ヒノエくんを信じるよ」と言い切って見せた白龍の神子を信頼しているから。
(あれだけの人物たちに忠誠を誓わせるっていうのも、不思議な姫君だね)
 彼女は常に前線で剣を振るい、躊躇うことなく怨霊を封じていく――その姿は、まさに戦女神だと、熊野の烏たちが口をそろえて褒め称えたくらいだ。実際、自分の目で見た時には、それこを身震いするほどだった。
 神職であるオレには、怨霊を封じる時、彼女の身体から滲み出る神気が眩いほど輝いて見えた。それは現実に具現化する光ではない、魂に直接届く光。苛烈なのに、どこか包み込むような温かさを感じるそれは、怨霊を「倒す」のではなく「浄化」するが故に顕れる、彼女の優しさなのだろう。
 本当に、あの細い身体の、どこにそれだけの智慧と勇気があるのか。
 ふとした瞬間に見えた白い腕には、その肌に似つかわしくない傷跡がいくつも見て取れた。
 男ならば多少の傷跡は勲章とも言えるだろうが、女性にとってはそうではないだろう。見られて嬉しいものでもあるまいと、オレは気になって仕方ない思いを抑えつけたのだ。
『随分、白龍の神子姫様は傷だらけなんだな』
 後日思い立って弁慶に問いを投げかけてみれば、困ったような表情であの男は答えた。
『ただ守られることを潔しとしない人ですからね。……普通の女性とは大分違うので、僕も戸惑っているのですよ。特に九郎なんか喧嘩ばかりですし。ですがヒノエ――』
『ん?』
『望美さんという方が白龍の神子だからこそ、僕らはここにいて、彼女を守りたいと思っている』
 いずれ君にも分かるはずですよ、と普段とは異なる、やたらと素直に見える笑顔で告げた弁慶の言葉が、オレの脳裏をぐるぐると回っていた。
(望美だからこそ、ね)
 向けた視線の先では、望美が楽しげに周囲の風景を見渡していた。
 地上からだと分かりにくいが、ここは勝浦を一望に見渡せる絶好の場所なのだ。オレのいる場所――ちょっと木に登れば、信じられないほど視界は広がり、美しい熊野の港が眼下に現れる。
(お前になら、見せてもいいかな?)
 誰にも教えたことのない秘密の風景。
(ひとつ秘密を見せたら、お前もオレに隠していることを見せてくれるかな)
 不思議と心躍るような思いが胸中に沸くのを感じながら、オレは望美へどうやって声をかけようかと、考えを巡らせるのだった。

- END -

 

||| あとがき |||

2章でヒノエが合流していないこと、を前提にした熊野話。まだヒノエが望美の、白龍の神子の様子を窺っている状態の話が書いてみたかったのでした。


web拍手web拍手

←RETURN