星降る夜に繋ぐてのひら
2009.10.27
迷宮 クリスマスイベント
- ヒノエ×望美
「私も、もうちょっとだけ一緒にいられたらいいのになって。……そう思ったんだ」
呟いたのは、ヒノエが有川家の門前で告げた言葉と同じもの。
おやすみの挨拶をしたヒノエが踵を返すのを遮るように、望美は彼の袖口へと指を絡める。込めた力はほんの僅かだけど、ヒノエは足を止め、望美を振り返った。
「ごめん、そんなこと言ってたらきりないよね」
俯いた望美の視線の先で、ヒノエが望美の手を掴んだ。袖口にかかる指を解く仕草は、丁寧だけれども、有無を言わせぬような動き。
あぁ離される……と思ったその時、しっかりと指を絡めるように手を繋がれた。じわりと手のひらから熱が伝わってくる。
「――姫君の言葉は、甘い毒のようだね」
繋いだ手の甲へ口づけたヒノエは、紅色の瞳にうっすらと苦笑いを浮かべる。
「そんなことを言われちゃ、さらっていきたくなるだろ?」
腕を引かれて軽く抱きしめられる。
すぐに拘束は解かれたものの、望美は恥ずかしさと同時に、自分があるべき場所に納まったような感覚を味わう。
剣を生業とする人、例えばリズヴァーンや九郎とは異なる細い指。だけど、節の目立つそれは男性らしい強さを持っていて、とても頼りがいのあるものだということをよく知っている。
『熊野でオレに並ぶ者はいないよ』と言い切る操船技術や、航海にまつわる様々な知識。
扱いが難しそうな武器を軽々操って敵を倒す強さ。
テレビや携帯、パソコンのような現代機器に、あっという間に馴染んで己の情報源としてしまう強かさ。
優しく、壊れものを扱うように、そっと自分に触れてくるのもまた――彼の、手。
知り合ってまだ一年経つわけではないのに、既に無数の『彼の手』を知っている。
「明日も早いし、無理をさせるかもしれないけれど――今宵一晩、姫君と過ごす栄誉をオレにくれないか? ね、望美。絶対に後悔はさせないよ」
そして今日もまた一つ、彼の手を知る。
(一緒にいたいって願ったのは、私も同じなのに)
強引なふりをして、全てを己で背負って望美の願いを叶える、手。
「どこに行くのって聞いても、きっとヒノエくんのことだから秘密なんだよね?」
並んで歩き始めながら問いかけると、ヒノエは楽しげに笑う。
「ああ。そのほうが驚きが大きいだろ?」
こういった茶目っ気あるやり取りを楽しめるようになったのも、ヒノエとの出会いを経て望美が変わったことの一つ。
自分が変わる。変えられて行く。でもそれは決して不快ではないのだ。
望美は鮮やかな笑みで、ヒノエに己の期待を伝える。
「確かにそうかも。楽しみにしてるよ」
「姫君のお願いは裏切れないね」
繋いだ手を持ち上げたヒノエは、望美の人差し指へそっと口づけを落とした。
「聖なる夜にふさわしい、夢心地な時間をオレの神子姫様に捧げるよ」
自信たっぷりな表情で片目を瞑って見せたヒノエは、望美の手を取って夜道を進む。不慣れなはずの鎌倉の道を惑うことなく歩く姿に、望美は驚きを隠せない。
確かに彼がこの世界に強く興味を持ち、怨霊の調査以外にも毎日のように出歩いていた事は知っているが、地元民でも躊躇うほどの暗闇も、戸惑うことなく道を選び、望美の足元にまで気を使って見せる。
(本当にヒノエくんってすごいなぁって思うんだけど……)
向けられる好意があまりに大きすぎて、それを受け止めることに迷いを感じるのも事実なのだ。
(それに、君はいつか私の前からいなくなる)
『オレは帰るぜ』
元の世界へ戻れない事も考えるべきかもしれないとの話が出た時、誰よりも迷いなく断言してみせたのはヒノエ。
厳然たる決意を含む声に、思わず手を握り締めたのを思い出す。
(次に別れたら、二度と会うことは出来ない)
彼らを元の時空に返す為、最善を尽くす気持ちは変わらない。でも頑張れば頑張っただけ、別れの時間は近くなる。その矛盾が、胸に痛い。
この世界に残る穢れを正して彼らを見送れば、「白龍の神子」としての務めは終わる。全てが終われば時空を超える必要もなくなる。剣を取り、戦うこともなくなる。守られる必要もなくなるから、八葉とのつながりも消える。
ヒノエとの縁も――終わる。
(ねぇお願い。これ以上好きにさせないで)
まだ、大丈夫。
他の八葉よりも多く心を傾けてしまっているかもしれないけれど、まだ今なら彼の手を離せる。
きっと離せる、はず。
そう思いながらも、繋いだ指に知らず力が篭っていく。
「生まれ育った国でも、夜道は怖いかい?」
密やかな恐れを感じ取ったのか、ヒノエは握った手を引き寄せながら囁く。
優しいヒノエの声。蜂蜜のようにとろりと染み込み、胸の奥に甘い疼きを貯めていく響きだ。望美は心の迷いを振り切るように、努めて明るく応じた。
「ちょっとね。暗いから転んだらどうしようとは思うよ」
「もし躓いても、姫君の事はオレが必ず支えてあげるから安心しなよ。それにここは迷宮ほど複雑な道じゃないから、先導を誤るようなことはしないよ。……あそこは流石にオレでも、何が起きるか予測がつかないな。まさか独断で下調べするわけにもいかないし」
「ええっ、迷宮に一人で行ったりしたら怒るよ? 何があるか分からないじゃない。危険なことはお願いだからしないで」
「もちろん、神子姫様の仰せの通りに」
恭しい表情を作って見せたヒノエは、不意に視線を斜め前方へと向けた。
「さぁ、ついたよ」
ヒノエの指は示す方向へ視線を向けた望美は、そこにあった『モノ』に驚いて目を瞠る。
「ヒノエくん、これって」
「お前のために用意した、『空をかける船』だよ」
闇夜を切り裂く明るいライトに照らし出されているのは、小型のヘリコプター。
「どうかしたかい、姫君? 早く乗りなよ。それとも、まさか高いところは苦手かな? 敦盛やリズ先生と屋根の上に登るようなお転婆な姫君だから、きっと大丈夫だと思ったんだけど」
先に機内へ足を踏み入れたヒノエは、片手を望美へ差し出しながら首を傾げる。
「あ、うん。ごめん。平気だよ。ただ少しびっくりしちゃって」
「ふふ。ドキドキするにはまだ早いかな。一生忘れないような夜空を、オレの神子姫様に捧げるよ。――あぁ、足元段差が大きいから気をつけて」
ヒノエの助けを借りて高いステップをひと息に登り、指定された座席へ腰を下ろす。
ヘリコプターは思ったより小さく、どうやら乗客は二人だけのようだ。硬いシートに腰をおろし、促されるままに安全装置をつける。
安全確認と注意事項の読み上げが済むと、ヘリはすぐに離陸した。ふわ、とした感触が伝わった後、一気に上空へと向かっていく。思わず小さく歓声を漏らすと、その声に気付いたのか、ヒノエが目を細めて問いかけてくる。
「天乙女のお気に召したかな?」
揺れる身体を支えるように、望美の肩へと手を回しながらヒノエは問いかける。
「うん! びっくりしたけれど、すごく綺麗だね。――前に白龍の力で空を飛んだ時を思い出すよ」
「そんなことがあったのかい?」
「一度だけね」
懐かしいな、と笑えば、ヒノエの紅色の瞳が僅かに眇められる。
「ふぅん。姫君を大空の散歩に連れ出したのはオレが最初だと思ったら、白龍に先を越されていたとはねぇ」
どことなく悔しげなの声に、望美は慌ててフォローの言葉を口にする。
「でも白龍が空を飛んでくれたのは、向こうの時空だし……」
(それに、今はヒノエくんと一緒だから)
多分、口にすれば喜んでくれる言葉だと分かっていても、口にすることが出来ない想い。
形作ることはできなくとも、精一杯の気持ちを込めて言葉を続ける。
「今とは全然違うよ」
「それでも、さ。姫君の一番は、いつだってオレが独占したいと思うのは罪なことかな」
「つ、罪とかじゃなくって……って、ヒノエくん、ちょっと寄り過ぎ!」
プロペラの音が大きいので、会話するためには自然と身体が寄り添い、顔も近づいていく。今更ながら、まるで頬が触れそうな程近くにヒノエの顔があることに気づいた望美は、慌てて身を引こうとするが、ヒノエの手がそれを許さない。それどころか更に腕へ力をこめ、離さないという決意を無言で伝えてくる。
「窓が小さくて夜景が見えにくいし、それにあまり動くと危ないから、このままじっとしててくれないかい」
「ぐっ……」
危ない、という単語に、望美はヒノエの腕中で大人しくなる。
それでも微妙に落ち着かないのか、視線がそわそわと窓の外とパイロット席の方を交互に動く。望美の見る先を追い、何を気にしているのか分かったヒノエは苦笑する。
「これはデートコース用のチャーターヘリだから、パイロットのことは気にする必要ないよ」
見慣れているだろうしね、と片目を瞑ってみせれば、望美は大きく目を見開き、次いでぱっと頬を赤く染めた。
「ちっ、違うよ! そんなこと気にしてるわけじゃなくて」
(そもそも、なんで普通に「デート」とか「チャーター」とか現代の言葉を使いこなしてるの!)
ヒノエの適応力の高さに唖然としつつも、彼の言葉はまさに望美が気になっていたこと。口で否定はしみせても、表情がすっかり裏切っている。
「じゃこうしていても大丈夫だね」
「う…、ん……」
丸め込まれたような気分を味わいながら、望美が頷く。
しかし、あまり黙っていると恥ずかしさがどんどん増すような気がする望美は、気を紛らわせるために、ふと思いついたことを口にする。
「ヒノエくん。一つ聞いてもいいかな?」
「オレで答えられることなら、なんなりと」
「これって、予約しないと乗れないよね」
「あぁ、そうだろうね」
それが? という視線を向けられ、望美は少し躊躇した後、疑問を口にした。
「一体いつ予約したの?」
驚きを通り過ぎれば、沢山の疑問がわいてくる。
一緒に居たいとねだったのはつい先刻のこと。それまで、クリスマスの夜に「一緒に出かけよう」とか「一緒に過ごそう」とか、そういったことは一切話したことが無い。
(確かにヒノエくんはクリスマスを楽しみにしていたみたいだけど)
たとえ携帯を使ってネット予約などが出来たとしても、ここへ来るまでの間にヒノエが携帯を弄るのは見ていない。
「さぁ、いつだろうね。魔法の種あかしは、どうしても必要かい?」
悪戯っぽく笑って顔を覗き込んでくるヒノエに、望美は慌てて首を左右に振った。
「そうじゃないけど……やっぱり前から予約してたんだよね。もし私がヒノエくんと出かけたいって言わなかったら、どうしたんだろうって思って」
「愚問だよ」
ヒノエは望美の耳元へ口を寄せて囁く。
プロペラの音で聞こえない――という状況に誤魔化しながら、普段よりも更に近く。形のいい耳朶に吐息を沿わせながら告げる。
「オレには異国の神を言祝ぐ事は出来ないけれど、姫君と過ごす特別な夜を他の誰にも譲るつもりは更々ないからね。『もしも』なんて事は、ありえないのさ」
- END -
||| あとがき |||
元は雑談記事のオマケとして書いたSSでした。

