オレだけの特効薬
2009.10.12
ヒノエが怪我をしたときのお話
- ヒノエ×望美
パタパタという軽い足音に続いて、勢いよく入り口の戸が開けられた。
「弁慶さん、いる!?」
「望美さん? 何かありましたか?」
「あの、ヒノエくんが――…あ」
振り返ったのは弁慶。その向こう側にちらりと見える赤い髪を認め、望美は小さく息をのんだ。
緩やかに向けられた顔、その目元は白い布で覆われている。それでも彼は、真っ直ぐに望美の眼がある方向に向かって囁いた。
「姫君? どうしたんだい、そんな慌てた声で」
届く声は常と変わらぬ、少し悪戯っぽい響きをはらんだ物で、その口調に思わず涙が零れそうになる。
「えと、その……」
ぎゅっと手を胸の前で握り締める。躊躇うように数度口を開閉させた後、掠れた声を搾り出す。
「ヒノエくんが、怪我したって聞いたから、それで」
あぁ、という風に頷いた弁慶は、治療に使ったらしい様々な品を片付けながら説明の言葉を紡ぐ。
「怪我とは少し違うんですけどね。怨霊の探索中、少し眼に穢れた水が入ってしまいまして。失明とかそんなことはありませんが、念のために治療をしていたんです」
「治療っていったって、洗って御札を貼ってるだけなんだけどな」
ひらりと手を振り、ヒノエは笑う。
「これでも神職だから、気休めだとしても穢れ払いはやっておかないと」
「ヒノエ、仮にも神職というならばそういう発言はやめなさい」
嗜めるように告げた後、弁慶は荷物を持って立ち上がる。
「少し発熱しているようですから、薬湯を作ってきます。望美さん、すみませんが戻るまでヒノエを見ていてやってくださいませんか?」
「あ、はい。分かりました」
「よろしくお願いしますね。――ではヒノエ、大人しく、待っていてくださいね」
言外に様々なものを滲ませながら、『大人しく』の部分をゆったりと、強調するように告げた弁慶が室を後にする。
「あーあ、弁慶の薬、苦いから飲まずに逃げるつもりだったけど、姫君が監視じゃそういうわけにもいかないな」
戸の閉まる音に肩を竦め、ヒノエは小声で呟く。
「熱って、ヒノエくん寝ていたりしなくて大丈夫なの?」
「平気だよ。ちょっと疲労が出た程度だからね。気になるなら確認するかい?」
伸ばされたヒノエの手が望美の髪に触れ、そこから探るように指が頬の輪郭をなぞる。右手で頬を支えたまま、左の掌を望美の額にやんわりと添える。
「え、熱測るって逆じゃない? 私が手をあてて――」
「違わないよ」
口角を上げるようにして笑いながら手を動かし、望美の前髪をかきあげる。ヒノエは顕わになったそこへ己の額をこつんと合わせた。
「ほら、殆ど熱なんかないだろ?」
「……っ!」
己の手を目印にして、過たずに距離を詰めてみせたヒノエは、間近に顔を寄せたまま楽しげな声をあげる。
「どっちかっていうと、姫君の方が熱いくらいだな」
頬に触れていたヒノエの掌は、いつの間にか抱き寄せるように腰に回されている。そのことに気付いて更に望美の体温が上がる。悪戯っぽい笑みを含むヒノエの声が恥ずかしくて、望美は顔を背けようとするが、絡みつく彼の手が自由にさせてくれない。
「ヒノエくん、離して……っ」
「どうして? こんなに体温が上がるほど――急いで来てくれたんだろ?」
頬、目尻、耳元と、場所を確かめるように触れる唇は悪戯に望美の背筋を震わせる。
「なぁ、オレの神子姫様。一つ、頼みがあるんだけど」
「なに?」
「あのな……」
耳元で何事か囁けば、望美の頬はこれ以上ないほどに紅に染まる。
「ダメかい?」
ねだるように問う口調は吐息まじりに甘く掠れ、その響きに太刀打ちできず、望美は逡巡の後に小さく頷いた。
「み、見ちゃダメだよ?」
そろそろと手を伸ばし、ヒノエの両頬に手を添える。その手が少し震えているのに気付き、ヒノエは口元に苦笑を刻みながら、己の手をその上に重ねる。
「見ろと言われても見えないよ」
「全然見えないの?」
「眼の上に、祝詞を書いた札を貼っているからね」
布だけならともかく、紙が邪魔で光すら感じない、とヒノエは淡々と答える。
「そうなんだ」
望美の呟きと同時に、手の震えが止まった事をヒノエは感じる。おや、と思うより早く、眼前にいる少女の気配が距離を詰めてきた。
「――早く治ってね」
短い言葉に心からの祈りを込めて。
左目、右目、そして額――彼の八葉の証の上に、柔らかな唇が触れる。
『包帯の上からでいいよ。目の快癒を祈って、神子姫の祝福をもらえないかい? 魔を封じる姫君の口づけを』
戯れにねだって見た言葉は、予想以上の結果となったヒノエの上にもたらされた。
そして更に、もう一つ。
「ヒノエくんの綺麗な目が、早く見たいよ」
極々小さな囁きが、ヒノエの唇に落とされる。
分け合った熱は一瞬。柔らかく、だけどどこか乾いた感触に彼女の緊張を知る。
「望美……」
名前しか呼べない言葉は、情けないことにカラカラに乾いている。
どうしてこんな時に目が見えないのだろう。
だけど、目が見えていたらこんなこと絶対なかっただろう。
ぱっと身を引こうとした少女の身体を強く抱きしめながら、ヒノエは二律背反の思いを噛み締める。
「大丈夫だ、すぐに治るよ」
柔らかな髪に顔を埋め、誓うように告げる。
「お前が祈ってくれたからね。どんな薬湯よりも、どんな祈祷よりも、オレにとっては最良の薬さ」
- END -
||| あとがき |||
時期的なものはあまり考えなかったのですが、ヒノエが神職であることをぺろっと言っているので、熊野以降ですかね。

