特別じゃないひと
2009.12.20
本編中のどこか
- 弁慶×望美
明るく華やかな話し声が聞こえ、弁慶はつと視線をそちらへ向ける。目を向けた先には、この邸の主人の妹である朔と、そして弁慶の想い人である望美の姿があった。
元々望美に用事があって探していた事もあり、弁慶は話の邪魔をしないように足音を押さえつつ、そちらへ向かう。
風に乗って途切れ途切れに聞こえる言葉は、どうやら『恋話』のようだ。
別に弁慶は何を言われようとも気にしない――いや、むしろ他の男たちへの牽制になるから、望美との仲を揶揄されることも悪くはないと思っている。だが望美のほうは恥ずかしくて仕方ないらしく、真っ赤になって反応するので、他の八葉の前では恋仲を強調するような言動は避けている。
(でも、朔殿とはそういう話もするのか。どんな事を話しているのか気になりますね)
そんな事を考えて歩みが緩んだとき、望美の声が弁慶の耳に飛び込んできた。
「――もうっ、別に弁慶さんが特別って言うわけじゃないよ!」
特別、ではない?
弁慶は自分の表情が硬く強張るのが分かった。そして、そんな気配を察したのだろう。望美が振り返り――更に朔も視線を向ける。二人の視線を受けて、弁慶はふわりと笑みを浮かべてみせた。完璧に表情を取り繕った笑顔に、望美の頬が僅かに緊張を孕むのが見て取れた。朔はどうか分からないが、少なくとも望美は弁慶が『聞いていた』ことに気付いたはずだ。
「望美さん」
「は、はい」
「頼まれていた本が見つかったので探していたのですが」
「わっ、ありがとうござい――…」
弁慶は優美な笑みを貼り付けたまま、望美の礼を遮るように言葉を続ける。
「その前に、少しお話をさせて頂いてもいいですよね?」
許可を得るようで有無を言わさぬ問いかけに、望美は黙って頷いた。
奥まった場所にある弁慶の私室まで、痛いような無言が続いた。入り口を閉ざし、更に奥の几帳で区切られた場所まで弁慶は望美の手を引いていく。
「望美さん」
「……はい」
「僕が特別ではないっていうのは、どういう意味ですか?」
問いかける声は、詰問という調子ではないものの低く掠れ、答えを強いる響きを強く孕んでいた。
「え、それは……その」
「他に『特別』に思う方がいるんですか?」
「そんなひといません!」
断言しながらも、それ以上は何も言わずに俯く望美を見て、弁慶は小さく溜息をついた。
「では何故ですか? ――君が僕の気持ちを受け入れてくれたのは、特別なことだと考えていたのですが、どうやら僕の思いあがりだったようですね」
弁慶は苦く呟くと、握り締めていた望美の腕を開放する。そして、突き放すように背を向け、室内の奥まった場所にある文机の前へ腰をおろした。
「頼まれた本はそちらに置いてあります。全部で五冊ありますので、好きなだけ持って行って下さい。僕は仕事をしますからこれ以上お構いできませんが――ゆっくり見て行って下さい」
背中越しに入り口近くの棚を指差し、言葉の通りに机の上に積み重ねていた書簡を手に取る。
あからさまな拒絶の姿勢に、望美は泣きそうに顔を歪めた。
ぱさり、という紙を繰る音だけが部屋に響く中、よろめく様に望美は弁慶の元へ歩み寄った。
「弁慶さん――」
小さく名を呼ぶが、弁慶の後姿はぴくりとも反応を返さない。
望美は彼の直ぐ後ろに膝をつき、恐る恐る胴に腕を回した。ほっそりとした印象があるくせに、実はがっしりと骨太な肩口に頬を埋め、弁慶にだけ届くような小さな声で告げる。
「ごめんなさい。私……本当はあの時、こう言いたかったんです。『弁慶さんは特別なんかじゃなくて、一緒にいるのが一番自然な人なの』って」
抱きついた腕に力を込め、更に言葉を続ける。
「弁慶さんがいない時間なんて考えられない。特別とか、そんな言葉じゃ表せないくらい私に必要で大事な人です。……でも弁慶さんの顔を見たら恥ずかしくなっちゃって、言えなかった」
ごめんなさい、と呟き、望美は弁慶から離れようとした。その動きが、他ならぬ弁慶自身によって遮られた。
胴に回した望美の手を包むように己の手のひらを重ね、離さないと言うかのように強く握り締める。
「僕の早とちりだった、というわけですか」
「そ、うなるの……かな?」
「でも望美さんだって悪いんですよ。そんな所で区切られたら、誰だって誤解します。……嫌われたのかと、思ったじゃないですか」
拗ねたような響きで紡がれる言葉に、望美は思わず瞬いた。
「えー、嫌わないですよ。むしろ弁慶さんの方が私に愛想尽かしたでしょ。今さっき」
先刻の言動を示して言えば、珍しく弁慶が言葉に詰まったように視線を彷徨わせた。
「あれは――大人気ない事をしたと思っています」
「ちょっと傷つきました」
告げる言葉とは裏腹に、どこまでも甘く優しい声で望美は笑う。耳元を揺らす笑み含みの吐息に、弁慶はくすぐったげに身を竦めると、半身を捩って、背中に抱きつく望美の身体を引き寄せた。
バランスを崩した望美は、反射的に弁慶の首に縋りつく。そして気がつけば彼の膝上に座るような格好になっていて、その体勢の恥ずかしさに、一気に顔を染める。
抗議をしようと上げた視線は、自分を見下ろす優しい琥珀色の瞳に捕らわれて言葉を無くす。そのまま近づいてきた唇を、目を閉じて受け入れる。
「仲直り、してくれますか?」
触れるだけの口付けを離し、弁慶は問いかける。その声はほんの少しだけ震えるように掠れていて、望美の心に弁慶への愛しさを募らせる。
「……うん」
こくりと頷き、望美は幸福をそのまま絵に書いたような、透明な笑顔を返した。
- END -
||| あとがき |||
今回のポイントは珍しく弱気に拗ねる弁慶と膝抱っこ

