互いを想う心
2009.11.22
恋愛ED後の薬師夫妻 … 11月22日『いい夫婦の日』
- 弁慶×望美
「弁慶さん、患者さんは全員帰られましたか?」
「ええ。今日の診療はこれで終わりです」
裏手の井戸で手を洗っていた弁慶は、背後から投げかけられた望美の問いへ緩やかに頷いた。
「寒くなったせいで風邪の方が多かったですけど、少し落ち着いてきたみたいですね。今日はどちらかというと、怪我の方が多かったかな」
差し出された布で手を拭きながら、弁慶は望美が気にしているであろう事を口にする。
「よかった! 気候の変わり目は体調を崩しやすいですものね。このまま落ち着いてくれるといいんだけど」
「ふふっ、すっかり君も薬師見習いの顔になってきましたね」
患者を気遣う望美の声に、弁慶は楽しげに目を細めた。
龍神の加護が復活した京へ、望美が残ることを決めて半年以上が経つ。
その間に、神子を巡る八葉たちの争奪戦があったとか、某水軍頭領が彼女を攫おうと軍奉行邸へ忍び込んで、たまたま訪問していた源氏の御曹司に追いかけられ大目玉を喰らったとか、その隙をついて仲間から腹黒と称される軍師がさっさと彼女に妻問いしてしまったとか、翌日それを知った朔が弁慶を正坐させて説教したとか――。
大小色々な騒ぎはあれども、白龍の神子と呼ばれた少女は、生まれ育った世界を捨ててまで選んだ恋を叶え、一年近くを過ごした梶原邸から弁慶の待つ小さな庵へ移り住んだ。
そして庵の主である弁慶は、紫陽花の咲く季節が訪れる前に源軍の軍師を辞した。
ただ九郎や景時との付き合いまでは絶たなかったので、今も彼らは「友人への相談」という形で彼の智謀を頼りにやってくる。その度に「僕はもう軍師ではないのですから」と散々文句を言いつつも、付き合い良く彼らの相談に乗ってやっているし、時には六条堀川まで出向いて、話し合いに顔を出すこともある。嫌々言っているわけではないが、積極的に参加しているわけではない。
「今回の話し合い、オレ別件があって同席出来ないんだよ。九郎一人に任せておくと不安なんだ~。黙ってるだけでいいから、ついていてやってくれない……?」
そう言って、大きな身体を縮めるようにして頭を下げる景時の姿に、望美がほだされて弁慶へ助け船を求める――という行動が、大体月に一、二回繰り返されているのは秘密である。
そんな風に弁慶が不在の間、最初のうちは診療所兼である庵を閉めていたのだが、患者さんが不便だろうから、と弁慶に願い出て、望美が治療は出来ないながらも作り置きの薬を渡す――ということを始めるようになった。
いくら腕が立つとはいえ、女ひとりで庵を開く事に、最初弁慶はいい顔をしなかった。
「ねぇ弁慶。朔が一緒だったらいい? それでも駄目なら、誰か護衛の武士でも差し向けるけど……」
望美の相談を受けた景時は、そう弁慶に問いかけた。いつも弁慶を説得してもらっているので引け目がある彼は、今度は望美の為に弁慶の説得を引き受けたのである。
「男手は不要です」
きっぱりと言い切る弁慶の視線は、うっかり望美さんの魅力に、その武士があてられたらどうしてくれるんですか、と訴えている。乾いた笑いを浮かべる景時だが、続いた弁慶の言葉にほっと胸をなでおろす。
「まぁ、朔殿が一緒でしたら、いいですかね……。望美さんも朔殿に会いたいでしょうし」
明らかに不承不承といった体ではあるが許可をもぎ取った望美は、薬師見習いとして診療所に立つことになった。
弁慶が留守をしなければいけない日は、梶原家に仕える男衆が朝一番で朔を庵に送り届ける。昼頃までは患者の世話をしたりして過ごし、午後からは「朔先生」による料理や家事の指導を望美が受ける。そして夕方になる前に、二人で梶原邸へ向かい、仕事を終えた弁慶と合流。夕餉を共にしてから弁慶と望美は庵へ戻る――こんな生活が送られることになったのだ。
最初の頃は、ただ言われた薬を渡すくらいしか出来なかった望美も、弁慶との生活の中で薬の調合も覚え、少しずつではあるが、治療の方も出来るようになっていた。特に傷の手当ては、弁慶が関心するほど手慣れたものとなってきた。
「まだまだですよ~。薬湯の作り方は、全然覚えられないですし」
「あれは患者さん一人ひとり、配合を変える必要もありますからね。確かに少し難しいかもしれません」
背の高い方と低い方、男性と女性でも、やはり違ってくるのですよ――そう笑う弁慶に、望美は難しげに眉を寄せた。
「そうですよねぇ。私が育った世界も、子供は一錠、大人は二錠、とか薬の量が違ってましたもの」
「君の喩えはよくわかりませんが、多分きっとそういう事です。……それに、まだ君は薬草の事を学び始めて半年も経たないんですよ。それで僕に追いつかれてしまっては、僕の立つ瀬がありません」
「追いつくことなんてないと思うけど、もしもそういう日が来たら、師匠がいいから、ですよ」
紫苑の髪を揺らして望美は笑う。その時になって、弁慶はようやく彼女が髪を長くおろしていることに気がついた。
「おや、今日は髪を結っていないんですね」
「あ、今日は少し首のあたりが寒かったから。治療のお手伝いもなかったし、いいかなって」
「そうですか。身体を冷やすのはよくありませんし、寒かったらきちんと厚着をしてくださいね」
照れくさそうに笑う彼女へ笑み返しながら、思い出したように弁慶は己の懐へ手を向けた。
「そういえば、最後の患者さんからの頂き物があるんですよ」
着物の袷から小さな布包みを取り出す。ぱらりと開いて見せた中からは、小ぶりな簪が姿を現した。
「細工物を作っている方なのですが、具合が良くなってきたお礼に、と」
「わっ、可愛い」
無論、高価な材料が使ってあるわけではない。小花を象る花弁は磨いた石や貝殻を列ねて作ったものだ。細かな細工は触れ合うたびに、しゃらしゃらと涼やかな音を奏で、目だけではなく耳にも心地よい簪であった。
「奥さんに差し上げて下さいと、そういって置いていかれたんですよ」
だからこれは君のものです、と笑った弁慶を、望美は驚いて見上げた。
「ええっ? でもこんな素敵なもの貰えないですよ!」
「僕もそう言ったんですけどね」
望美の反応を予想していたかのように、弁慶は肩を竦めてみせる。
「そうしたら『美しい女性の髪を飾れれば、この簪も本望でしょうし、なにより、それを見に先生の所へちゃんと通おうっていう気になりますから』……だそうで」
言い終わった弁慶は深々と溜息をつく。だがこれだけでは、弁慶が肩を竦める意味が分からず、望美は解答を求めて夫の顔を見上げた。
「あの患者さん、仕事が忙しいからって治療を怠るんですよ。酷い腰痛なのに、薬も飲んで下さらない時があるし」
「……つまり、簪を見るって言う口実で診療所へ通ってくれるなら、と。そういうことで受け取ったんですか?」
「流石です、望美さん。その通りですよ」
そして弁慶は、望美の手を取ると、小さな簪を彼女の掌へと載せた。
「望美さん。つけてみてくれませんか?」
「え? あー、えーとぉ……」
「鏡がないと難しいですか? それだったら、すぐ中に――」
「いえ! そうじゃないんです」
望美の肩を抱いて屋内へと促そうとした弁慶へ、首を左右に振ってみせる。
「私、簪とか使ったことなくて。どうやっていいか分からないんです。いつも朔がやってくれたから……」
最後の言葉を恥ずかしそうに告げると、望美は真っ赤になって俯いた。
「髪を結わくのは出来るようになったけど、簪とか無理です」
「ふふっ、いいんですよ。そういえば望美さんは、あまり髪を結うことはありませんでしたからね」
白龍の神子として京にいた頃の姿を思い出しながら、彼は渡した簪を摘み上げた。
「後ろを向いてくれますか? 多分そんなに上手ではないと思いますが、折角なので僕の手で飾らせて下さい」
穏やかな表情で笑う弁慶に頷きを返し、望美は彼へ背を向ける。
「弁慶さん、本当に何でも出来るんですね……」
「そんなことはないですよ。でも君のため、と思えば、なんだって出来るような気はしますよ」
さらさらと指で髪を数度梳った後、長い髪の一部をくるりと丸めるように上げ、そこへ丁寧に簪を挿す。艶やかな紫苑の髪に咲いた可憐な花に、弁慶は満足げに息を吐いた。
「……可愛いですよ」
「細工が良いからですよ」
手を伸ばし、落とさないように怖々と簪へ触りながら、望美は笑う。
「僕の奥さんより可愛い存在はありませんよ?」
さらりと告げられた言葉に、望美の頬が一瞬にして朱に染まる。
「わ、私! 中で鏡を見てきます!」
ぱっと飛びのいた望美は、足早に庵の入口へと走り去る。
だが、不意に途中で足を止めると、勢いよく弁慶を振り返った。
「あのね、弁慶さん! 私、嬉しいです」
「何がですか?」
「だってこんな素敵な細工物を頂いたのは、弁慶さんの治療が良かったから、ですよね」
緩く首を傾げれば、しゃらんと涼やかな音色が響く。
「奥さんとして誇らしいです。やっぱり弁慶さんは、最高の旦那様ですね」
先ほどの余韻でか薄紅に染まった頬のまま、満面の笑みを向け――そして、再びくるりと背を向けて走り去った。
「本当に、君は」
片手で口元を覆い、弁慶はぽつりと呟いた。
「僕を喜ばせるのが上手な人ですね……」
その耳元がほんの僅か、望美の表情を写したかのように赤い事は、彼以外誰も知らない。
- END -
||| あとがき |||
この話のポイントは九郎に説教されれるヒノエと、朔の雷を喰らう弁慶です(真顔)。

