気分転換
2009.10.14
6章 京
- 弁慶×望美
庭から聞こえる明るい笑い声に、弁慶は眺めていた巻物から視線を上げる。
半ばまで巻き上げられた御簾の向こうに、望美と譲が並んで笑いあっている姿が見えた。
彼らの上に広がる秋の空には薄く雲がかかり、緩やかに吹く風が木々の枝を揺らしている。気付けば、さりげない動作で譲が風上に移り、悪戯な風から望美を守ろうとしていた。その光景に、弁慶はうっすらと笑みを浮かべる。
書簡の整理に見切りをつけた弁慶は、ふらりと立ち上がって彼らの元へと歩を運んだ。
「楽しそうですね」
驚かさないようにそっと声をかければ、望美が華やいだ笑顔と共に振り返った。一拍遅れて譲も顔をあげ、会釈を向ける。
「弁慶さん! 見てください、これ」
「なんですか?」
外套の端を引かれるまま膝を突き、望美が指差すものを覗き込む。
平らな石で囲まれた一角に、小さな花が今が盛りと咲き誇っていた。一つ一つの花弁は小さいが、まとまって花開いているので、意外なほどの存在感があった。清涼感漂う淡い色も、見るものの心を和ませる。
「これは……綺麗ですね」
「譲くんが植えた花が咲いたんですよ」
望美の言葉に驚いて譲を見遣れば、それが癖の眼鏡を直す仕草をしながら、譲はどこか照れくさそうに笑った。
「以前、京に来て間もない頃、朔に許可を貰って植えさせて貰ったんです。熊野に行っている間、ずっと放ってしまったので駄目かなと思っていたんですけど、邸の人が面倒を見てくださっていたみたいで綺麗に咲きました」
「良かったですね」
「本当に! 何の花か分からないけど、本当に可愛いし~」
指先で白い花弁をつつく望美を見て、譲が目元を緩める。
「ああ、この花はですね――」
望美の問いに答えるために、花の名を口にしようとした譲は、不意に言葉を切って顔をあげた。
「おや、景時が呼んでいるようですね」
遠くから途切れ途切れに響くのは、この邸の主の声だ。譲の名を呼びながら歩いているようだ。
譲は訝しげな表情を浮かべながらも立ち上がった。
「ですね。もしかしてこの間頼んだ物が完成したのかな? ――先輩、すみません。ちょっと行ってきますね。弁慶さんも失礼します」
「うん。また今度、花のお話聞かせてね、譲くん」
「行ってらっしゃい」
ひらひらと手を振り、望美は譲を見送る。
同じようにして譲を見送った弁慶は、再び譲が咲かせたという花を見る。どこか記憶を探るような表情を浮かべた弁慶に気付き、望美は軽く瞬いて首を傾げる。
「弁慶さん? どうかしましたか?」
「あ……いいえ。この花をどこかで最近見た覚えがあると思ったのですが、どこでだったかな」
額に指をあて、暫し考え込む。
(六条堀川ではない。あそこにはこういう野の花はない。となると、最近行った場所――)
巡り歩いた場所を思い返していた弁慶は、やがて、あぁ、と嘆息した。
「思い出しました。この間、薬草を取りに行った場所に沢山咲いていたんでした」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。これだけ沢山咲いている花が薬として使えたら、集めるのも楽でいいのに、と考えたのを思い出しました」
悪戯っぽい表情につられるように、望美は手で口元を押さえて笑う。
「いつでもお仕事のことばっかりなんですね。たまにはリフレッシュ――ええと、気分転換とかしないと駄目ですよ?」
「気分転換なら、ちゃんとしていますよ」
こうやって慕わしく思う少女と話す事は、弁慶にとってもっとも心安らぐ時間だ。
問題は、どれだけ甘い言葉を囁いてみても、彼女がするりするりと腕の中から逃げていく事だけ。
「本当に?」
「ええ。疑うようなら、その『りふれしゅ』とやらを一緒にしましょう」
弁慶の提案に、望美は大きな瞳を更に見開いた。
「明日、この花を見に行きませんか? そんなに遠くないですから、二人だけで」
どうですか? と顔を覗き込むようにして問うと、少女の頬はうっすらと赤く染まった。
「う、嬉しいですけど、でも弁慶さんお仕事大丈夫なんですか?」
「たまには気分転換をしなさいと言ったのは君ですよ」
「それはそうですけど」
でもだってと唸る少女の様子がおかしくて、珍しく弁慶は声を立てて笑う。
「責任取って、僕の気分転換に付き合ってくれてもいいでしょう?」
指を伸ばして望美の髪を一房絡めとった弁慶は、つややかな手触りを楽しみながらねだる言葉を口にする。
「ところで――教えてください。先ほど『嬉しい』と言ってくれたのは花見ですか? それとも……僕と、二人で出かけることですか?」
髪を弄んでいた指を解き、望美の薔薇色に染まった頬を両手で包み込む。
そのまま視線を合わせれば、逸らせない瞳に羞恥と甘やかな怒りの色を込め、望美は弁慶を睨みつけた。
「そ、それはですね!」
「はい」
「……どっちも楽しみなんで、どっちかなんて選べません!」
「選べません、か」
ほんの僅か、切なげに睫を揺らしてみせた弁慶は、次の瞬間、一転して爽やかな笑顔を浮かべてみせた。
「では、僕の都合のいいように解釈します」
弁慶の宣言に驚く望美の抗議は、ふわりと重ねられた唇によって消し去られたのだった。
- END -
||| あとがき |||
そこはかとなく黒い弁慶さんが最後に降臨した気がします。
エンドレスで「玲瓏なる覚悟よ」を聞きながら書いたんですが、曲を全く無視したつくりになりましたね!(笑)
続きのお出かけ編も今度書いてみたいと思います。本当は入れようかと思ったんですが、どうも京の地理が分からなくて(…)調べてから書こうかな~とか思っています。
ちなみに景時が呼んでいたのは、多分なにか料理に使える発明品を作ったから(ぷりんの型のように)だと思っています。

