夏の時計
2009.10.05
夏の熊野 : 「夏の熱」の続き
- 弁慶×望美
いつの間にか、空は茜色に染まっていた。
「ああ、急いで帰らないと暗くなってしまいますね」
「そうですね」
弁慶の声に、望美は空を見上げて頷いた。薬草を摘みに行くという弁慶と共に山中へ分け入ったのは昼過ぎのこと。
「おかげで十分な薬草が集まりましたよ。望美さん、ありがとうございます」
「よかった。私も色々勉強になって楽しかったです」
「薬の知識は無駄になりませんからね。特に君は怪我が多いですから……」
ふぅ、と溜息をついて見せれば、誤魔化すような笑みが返って来た。その横顔が、淡く橙色に染まっている。
明るいようでいて、傾き始めた太陽が地平の彼方へ消え始めるとあっという間だ。
人里からそれほど離れていない山中とはいえ、危険が皆無なわけではない。共に武芸の嗜みがあり、慣れた武器を携えているとは言え、望美は地理に疎く、視力の弱い弁慶は闇夜に弱い。
知らぬ道は進めないし、見えないものは斬れない。九郎のような武芸者ならば見えぬものも見事断ってみせるだろうが、残念ながらそんな芸当をこなせる二人ではない。
「太陽は釣る瓶落とし、っていうんでしたっけ?」
「それを言うならば、『秋の陽は釣る瓶落とし』ですよ」
国語だか古典だかで習った言葉を口にすれば、即座に弁慶から指導が入る。間違えて覚えていたのは少々恥ずかしさを感じるが、それでも彼と同じ言葉を知っているんだ、ということが小さな喜びを望美にもたらす。素直に浮かんだ笑みと共に、薄く雲がたなびく夕焼けを見つめる。
「そっか。今はまだ夏だから違いますね」
「でも山は日が落ちるのが比較的早いから、直に暗くなりますよ。望美さん、足元に気をつけてくださいね」
夕闇を言い訳に、弁慶は望美の右手を握る。
君がまた転んだりしないように――なんて言いながら手を曳けば、違います、目が悪い弁慶さんが躓かないように私が支えてあげるんですよ、と偉そうな言葉が握り返す指の強さと共に返ってくる。
そんな他愛ない会話を交わしながら、手を繋いで歩いた。
始めの言葉とは裏腹に歩みが遅いのは、この時間が名残惜しいからかもしれない。長く伸びてゆらゆら揺れる影を見つめながら、二人は優しい時間をゆっくりと歩いた。
夕餉の後、宿の一室で集めてきた薬草の仕分けをしていた弁慶は、近づいてくる足音に気づいて顔をあげた。
木の床はよほど気をつけない限り軽く軋んで、歩む者の存在を伝える。ごく軽い、体重を感じさせない足音は、男のものではありえない。その上、どこか弾むような音とくれば、姿を見なくとも誰のものかはすぐに分かる。
「望美さん? どうかしたんですか?」
「え? なんで分かったんですか?」
ヒノエならば『姫君の事なら全てお見通しさ』などと甘く囁くのだろうが、弁慶がそれに類する科白を口にしたが最後、熱でもあるの、とか、弁慶さんのニセモノがいる、とか騒がれそうなので、弁慶は少し考える素振りを見せてから『望美の思う弁慶らしい言葉』を返した。
「ふふっ、秘密です」
「え~、教えてくれてもいいのにぃ~」
風除けのためにおろしていた御簾を上げ、文句を口ずさむ少女を招き入れる。
「ちょっと散らかしていますが、どうぞ」
「あー、うん、確かにちょっと、いやかなり本当に全くもって足の踏み場もなさそうですね……」
呆れた様子で腰に手をあてた彼女は、あたりを見回した後、適当に近くの草を脇によけて腰をおろした。
「それで、何か御用ですか?」
元いた卓の前へと戻った弁慶の問いかけに、あっさりとした表情で望美は応じる。
「用っていうか、お手伝いしようかと思ったんですよ。集めたのを分類したりとか、色々ありますよね」
「――珍しいですね」
心底驚いた顔を隠さず、弁慶は望美の顔をまじまじと眺めた。
「何か変なものでも夕餉に食べましたか?」
「夕餉なら、弁慶さんも全く同じものを食べているはずですが? そもそも譲くんの料理で、何か変なこと起きるわけ無いじゃないですか」
「……確かにそうでした。譲くんに失礼な事を言いました、申し訳ない」
「謝罪のポイントが微妙にズレているような気がするけど、まぁいいです。――集めるのを手伝ったわけだし、続きも手伝ってみてもいいんじゃないかなぁ、とか思ったんですよ」
「なるほど……」
頷きながらも、どういった風の吹き回しだ、と弁慶は思う。
彼女の夕餉後の行動は、湯浴みをし、朔と並んで座って(時には彼女の膝枕に甘え)その日にあったことを語り合い、そして共に枕を並べて眠る――というのが普通だ。それを『至福のひと時』と言って憚らない望美がこんな場所に来るなんて、と心底不思議に思った。同時に思い出すのは、昼間分け合ったささやかな指先の熱。
(まさか)
もう少しだけ一緒に居たいだなんて、そんな願いを抱くのはきっと自分だけ。
(そんなこと、ある筈ない)
「――そんなにおかしいですか? 私が弁慶さんのお手伝いするのって」
眼前にある薬草を手に取り指先でくるくる回す望美は、子供のように膨れて唇を尖らせている。
笑ったり怒ったり目まぐるしく変わる表情は、見ていて本当に飽きない。それは遠い過去に捨て去ってきたなにかを弁慶に思い出させるのだ。
だから普段では滅多に言えない、素直に浮かんだ思いを口にする。
「いいえ、嬉しいですよ。ありがとうございます、望美さん」
作為も何もなく紡がれた言葉は、そのまま真っ直ぐに望美へと届いたらしい。大きな瞳がぱっと開き、輝く笑みを浮かべる。
「では、望美さん。今お持ちの薬草と同じものがあちらの籠にありますので、茎を取り除いて葉のみにしてもらえますか?」
「はーい!」
元気よく応じ、望美は示された籠の傍へと移動する。
その後姿を目を細めて見つめてから、弁慶も己の作業へと意識を戻した。慣れた作業を続けながら、考えるのは熊野に来てからの日々のことだ。
熊野に来て、すぐに結果――熊野別当との面会その他が叶うとは思っていなかった。いや、別当に「会うだけ」ならば、弁慶にとって容易いことだった。だが、それでは駄目なのだ。源氏として熊野水軍に目通りをしなければ意味が無いのである。
現在の熊野別当の性格を思えば、長期戦になるのは確実だった。だから九郎に告げた通り、日数がかかることは予定通りだが、まさか熊野大社に辿りつく『前』に足止めを食らうとは、誰が考えただろうか。
手を打たねばならぬことは、本当は山のようにある。
平家との戦いを――その後に続くだろう鎌倉方との交渉事を考えれば、こうやって日々を無為に過ごすことなど許されないはずだった。
否応なく嵐はやってくる。
――だけど許されるならば、もう少しだけこの穏やかな時間を我が身に。
ただの八葉として、彼の神子の傍に在れる時間をこの手の中に留めたい。そう弁慶は願うのだった。
- END -
||| あとがき |||
1つ前に書いた「夏の熱」の続きです。
ある程度は単品でも楽しめるはずです、たぶんきっと。
なんか弁慶が黒い科白を白々しく吐いてます。楽しいです、こういうのを書くの…(駄目人間)。

