拍手御礼再掲
拍手御礼SS 008 … 2010.04.01~2010.05.03まで公開
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ヒノエ×望美
「え? お祝い?」
早春。桜花がようよう満開になりつつある京の町を歩きながら、ヒノエは望美の言葉を鸚鵡返しに繰り返した。時間帯と場所柄か、人通りは殆どなく、二人の足音と、控えめに落とした会話の声だけが流れていく。
「うん、そう。ヒノエくんのお祝いしなきゃね、って言ったの」
「何を祝うって言うんだい? 仲間に加わった事だったら、そんな事をされる謂れは無いぜ」
つい先日、ヒノエはこの白龍の神子の求めに応じて同行者になったばかりだった。とはいえ、完全に仲間になったというわけではなく、彼なりの意図を持っての行動だったし、他の面々にも『馴れ合うつもりはない』と公言していた。その態度は大なり小なり反発を招いていたが、源氏一行の頭脳である弁慶がヒノエと旧知であるという事が知れて以降、周囲の態度は徐々に軟化していた。とはいえ、仲良く円座で酒盃を掲げ――という雰囲気とはまだ程遠いのも事実。
そんな雰囲気で飲む酒など願い下げだ、と言わんばかりの応えに、望美はそうじゃないよ、と片手を振った。
「違うよ。だってヒノエくん、四月……じゃなかった、ええと」
皐月じゃなくてなんだっけ、と眉を寄せる様子に、ヒノエはささやかに手助けの声を紡ぐ。
「卯月の事かい?」
「そうそう、それそれ。ヒノエくん、卯月の生まれなんでしょう?」
「ああ、確かにそうだけど、それが?」
怪訝そうに問われ、望美はきょとんと彼を見上げた。数度瞬き、それから『あぁ、そうだった』と呟いて顔を曇らせる。楽しげな笑顔から戸惑いを経て落胆へ。くるくると変わる表情を眺めていたヒノエは、面白い姫君だなぁ、と思いながら望美の頬に手を伸ばした。
柔らかな頬をなぞり、そのまま顎を捉えて己の方へ引き寄せる。目元に甘い笑みを刻みつつ顔を覗き込めば、僅かに息を飲む気配の後、少女の頬が羞恥故か薔薇色に染まった。
(随分と初心なんだな)
熊野別当という――今はまだ隠している身分を知る女も知らない女も、ヒノエを籠絡しようと様々な手管を使ってきたものだ。付文から蟲惑的な秋波まで、嫣然と咲き誇る花々の誘惑に翼を休める事はあれども、自ら積極的に固い蕾を散らそうという心づもりはない。そういった色を好む男が居るのも確かだが、まだまだ身を固めるつもりのないヒノエにとっては、遊び慣れた女の相手をする方が断然気楽だった。
(しかし、確か十七……と言っていたか? 同い年には見えないね)
背格好だけならば十分。しかしヒノエの知る十七の女は誰かの妻になっているなど、既に『大人の女』の顔をしている者が殆どだ。短衣から覗く剥き出しの足も艶めかしさより爽やかさを強く感じるし、笑い顔一つ取っても、扇で口元を隠し楚々として微笑むのとは真逆の、ひたすら楽しいという気持ちを現し、口を大きく開いて鮮やかに笑う。
時折ふと見せる大人びた表情はあれども、色気とは程遠い、何かを決然と思う様な、そんな色合いだ。
(素材は悪くは無いんだけど『遊び相手』には物足りないんだよな)
色恋を仕掛けるべき相手ではない。だが、ヒノエは『白龍の神子』という乙女への興味がある。だからヒノエは彼が彼である由縁の艶やかな笑みを湛えながら、望美の言葉を促した。
「ほら姫君。黙ってちゃ分からないよ。オレでよければ話してくれないか?」
「ええと、ね」
じり、と半歩だけ足を退いた望美は、顔へ触れる手に話しにくそうにしながらも言葉を紡ぐ。
「この世界ではそういう習慣はないって聞いたけど、私の生まれ育った世界では、お正月に揃って一つ歳を加えるんじゃなくて、それぞれが産まれた当日――誕生日、って言うんだけれど、その日にお祝いをするのね」
「へぇ。随分面倒な事をするんだな」
「面倒なんかじゃないよ!」
何気ないヒノエの言葉に、望美はきっと視線を上げた。向けられる翡翠の瞳が孕む強さに、ヒノエはほんの少し驚きを感じる。
「産まれて来てくれてありがとう、出会えて仲良くなれて嬉しいよありがとうって、そういうのを思いっきり詰め込んで過ごす日なんだから」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんです」
真顔で頷く様子に、ヒノエは思わず吹き出してしまう。
「ヒノエくん! 笑うなんてひどい!」
「ごめん、ごめん」
胸元を拳で叩かれ、ヒノエは片手を挙げて降参を示すような仕草をしながら、笑いすぎて目尻に溢れた涙を指先で拭う。
「本当に可愛いな、と思ってさ」
「はっ?」
何言ってるのこの男、と桃色の唇が動いた気がしたが、ヒノエはさらりと黙殺する。
「出会ってせいぜい二日か三日? それくらいの男にも『おめでとう』『仲良くしてね』って言祝ぎをくれるなんて……白龍の神子は本当にお優しいんだな、と」
言葉の上っ面だけを取ればなんて事はない、しかしヒノエの口調がそれを裏切っている。有体に言えばどこか見下す、それでなければ嘲る様な響きを持つ声に、流石に望美が表情を強張らせた。その怯えにも似た表情へ追い打ちをかけるように、立て続けに問いを投げつける。
「そもそもなんで姫君は、オレの生まれ月を知っているんだい?」
勿論ヒノエは話した記憶などない。
知っているとしたら、あのいけすかない叔父くらいだが、望美が源氏軍に加わった日付もそれほど前の事ではないと知っている。恐らく彼の立ち位置もヒノエと似たようなものだろう。
相手を探り、見極めている。
そんな状態で、あの弁慶が容易く他者の情報を垂れ流すとは思えなかった。決して信頼などしていないが、その程度の信用はしている。
「それは――」
返答に詰まる望美を見下ろし、ヒノエは一言ひとこと区切って問いかける。
「ねぇ白龍の神子姫様。お前は一体何を知っているというんだい……? 神の恩寵を受ける身は、どんな先見の力を持っているというのかな。この戦いの行く末? それともオレたちの運命? 神子姫様の瞳には、何が見えているのだろうね」
言葉を切ったヒノエは、じっと翡翠の瞳を見据えた。彼女の裡に隠れる何かを見出すように、強い視線を向ける。
それを逸らすことなく受け止めた望美は、やや蒼白な表情ながらも、毅然とした顔を崩さない。
長い長い沈黙が二人の間に堆積して行く。
「私が知っていることなんて、ほんの少しだけだよ」
やがてぽつりと呟いた望美は、ゆるく首を傾げてみせた。
「龍神の神子は、万能じゃないんだよ。だって、私は神様なんかじゃない。ほんの少し、世界の力を借りて怨霊を封じることを許されただけの、ただの人間。その封じる力ですら、黒龍の神子である朔がいなければ使えない、不完全な神子だよ。運命? そんなもの見えるはずないよ。出来るのはただ、叶えたい願いの為に、もがき、足掻く事だけ」
幾つかの真実に、望美はたった一つの嘘を混ぜる。
本当に未来の事は分からない。星の一族は神託を受けるというが、幸いにか、それとも不幸にもか、そのような力は望美は有していなかった。だが、今まで通り過ぎてきた『異なる運命の形』は知っている。
厳密には神子の力ではない、それ――胸元に隠した逆鱗の力は、どの八葉にも、いや、彼女を表裏なく慕う白龍にすら告げる事が出来ない、悔悟の証。
一瞬だけ伏せ、そして開けた視界に映った緋色の髪は、燃え盛る炎を思い起こさせる。ヒノエに気付かれないように唇を噛み、改めて望美は彼を注視する。
何も知らなければ、ただ笑っていられた。
この掌ですくえるものは恐ろしいほどに少ない。それでもせめて、愛しい仲間だけは、失いたくなくて、数多くの命を散らし、見殺しにしてきた。
択ぶ事の怖さと恐ろしさを知る今、時空を超える度に、胸元で輝く白銀の鱗の重みを噛みしめるのだ。
「ヒノエくんは、一体何を知って、何を知らない――ううん『知りたい』と言うの? 全てを知らなければ我慢がならない?」
問いかける声は抑揚が薄い。だがその分、望美が抱える想いが薄っぺらいものではないのだと。まるで彼女が扱う剣の切っ先のような鋭さで、ヒノエの喉元に迫った。
それと同時に、ヒノエは淡い幻影を彼女の背後に視る。
姿形は何一つ変わらないのに、ヒノエの目には眼前の少女がぼろぼろに傷ついて血を流し、涙を流しているように見えた。
(泣いている?)
そんな生易しいものではない。
慟哭――そんな言葉でようよう言い表すことが出来る、それほどの嘆き。
一つ瞬けばその幻は消え失せるが、ヒノエの網膜にその姿は、強く色濃く焼きついた。
あんな風に泣かせたくない。その涙を拭って止めてやりたいと……不意に湧きあがる衝動に驚きながら、ヒノエは彼女の声に、敢えて軽い調子で否定の言葉を返した。
「まさか! オレはそこまで傲慢じゃない。そうだね、お前が秘密と言うならば、それでいいよ。無理やり聞き出すのは趣味じゃないし。ただ今は、まだお前に――お前たちに、全幅の信頼を寄せるわけにはいかない。勿論、お前もそうなんだろうけど」
「そんなことないよ」
望美は瞬きもせずヒノエを凝視する。
「他の人は分からないけど、私はヒノエくんを信じてる」
その言葉に笑顔はない。だが、それだけに強い意志をヒノエへと突き付けてくる。
「……何故?」
ほろり、と漏れたヒノエの声は、今までに聞いた事のない響きを含んでいた。
普段の余裕たっぷりで、常に一歩先を見据えているかのような、そんな賢しげな響きを過分に孕む声とは違う。
「お前が白龍の神子で、オレが八葉だから?」
例えば弁慶が、もしくは今はここに居ない敦盛が、そのヒノエの声を聞いたなら、思わず幼い頃の彼を想起する様な声音だったが、望美には知る由もない。ただ素直に問われた言葉に思いを返す。
「そうともいえるし、それだけでもない、かな。ヒノエくんが――…」
続く言葉は、不意に通り過ぎたつむじ風によって途切れ途切れの音となる。かろうじて聞こえた言葉を、ヒノエは脳裡で反芻する。
ヒノエくんがヒノエくんである限り、ずっと変わらないだけだよ、と。そう聞こえたような気がした。
「……お前は本当に謎だらけだね」
無意識に紡いだ本音が、ヒノエの中に掛かっていた薄い紗幕を切り裂いた。白龍の神子、という肩書きでだけ見ていた少女の、その本質を知りたいと、初めて思った瞬間。
(先入観で凝り固まって見ていたのはオレの方か)
己の非を認めれば、それを素直に受け止めるのも彼の美徳。
「ねぇ、望美」
ヒノエはそっと彼女の名を口の端に乗せる。
初めて紡いだ音色は、予想以上に甘い響きとなって二人の狭間に落ちて行く。
「やっぱりオレはまだ、お前を全て信用する事は出来ないよ。だけど、その信頼に応える事が出来たらいいと思う。――だからさ」
瞬きを繰り返しながら見上げてくる少女へ笑いかけ、ヒノエは彼女の手を握った。じわりと伝わる水分に、彼女の緊張を今更ながらに悟る。
神の愛し子は、その恩寵を身に受けてはいても本当はただの少女なのだと、その事実がすとんとヒノエの胸に落ちてくる。
「オレに、お前の事をもっと教えて」
||| 拍手掲載時のあとがき |||
微妙に前回の拍手お礼SSの続き…かもしれない春の京です。
桜の開花が3月末なら、ギリギリいけると思うんだ…!
||| 追加のあとがき |||
ヒノエ誕生祝いのシリーズとして書いた拍手御礼SSでした。
コレ単独だとかなり辛口な話なんですが、3月拍手SS→この拍手SS→ヒノ誕生日のSS、とセットでお読み頂くと、なんとなくリンクしている作りになっています。よければ合わせてお読み頂ければ嬉しいです。
